清水建設兼喜会『清水建設兼喜会五十年』(1969.02)

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目次項目 ページ
序 清水建設株式会社社長 吉川清一 NP
本編 p1
第一章 諸職方組合の創設―前期兼喜会 p1
第一節 建設業と下請制度 p1
下請とは何か p1
その発生について p1
職人社会の崩壊 p1
家族的結合の気風 p1
第二節 本社と諸職方 p5
その起源と歴史 p5
諸職方組合の創設 p5
三会の設立 p5
店員および諸方に対する諭示 p5
印半纏の支給 p5
手斧始めのこと p5
第三節 職人の社会 p14
職人気質 p14
職人の修業―大工の場合 p14
第二章 本社の発展 p23
第一節 創業の周辺 p23
初代、江戸に向かう p23
時代の背景 p23
日光東照宮工事に参加 p23
神田で大工店開く p23
列国の接近と天保改革 p23
幕府の作事組織 p23
国名を与えられる p23
横浜へ進出 p23
初代喜助の死 p23
二代喜助登場 p23
横浜を目指した職人たち p23
第二節 本社の興隆 p33
請負工事の起り p33
三井家とのつながり p33
二代喜助の三大建築 p33
築地ホテル館と彰義隊の乱 p33
資金繰りに苦心 p33
第三節 棟梁から請負業者へ p40
清水店の進展 p40
近代産業の開花 p40
建設企業の発生 p40
建設業の助成と会計法公布 p40
時代に対応する本社の職制 p40
二代喜助の死 p40
三代満之助の登場 p40
横浜店の模様 p40
三代満之助の改革 p40
場所係制度の創設 p40
新進工学士坂本復経の入店 p40
海外知識の摂取 p40
経営陣の交替 p40
渋沢栄一の教え p40
営業規定の整備 p40
原林之助のこと p40
第四節 各種企業の抬頭 p57
会社ブーム p57
建設業界の対応 p57
第五節 建築技術の導入 p59
西欧技術の摂取 p59
辰野金吾と妻木頼黄の対立 p59
鉄骨・鉄筋コンクリート技術の導入 p59
渋沢倉庫の仕様 p59
第三章 大正から昭和へ p64
第一節 大正期の建設業界 p64
大正中期の建設ブーム p64
第二節 本社経営組織の改革 p64
合資会社清水組の発足 p64
この時代の職制 p64
本社経営組織の変遷 p64
釘吉と康雄―その経営者像 p64
株式会社清水組の発足 p64
丸ビル工事に学ぶ p64
「丸の内」ものがたり p64
第三節 関東大震災 p70
未曽有の惨状 p70
関東大震災以後 p70
鶴見騒擾事件 p70
第四節 不況から戦時体制へ p75
昭和の恐慌 p75
“技術”の清水組 p75
昭和期の工事 p75
経営の前進 p75
海外への進出 p75
第五節 後期兼喜会の結成 p78
その胎動 p78
後期兼喜会の誕生―本社公認となる p78
兼喜会、軌道にのる p78
第六節 戦時体制 p81
戦時下の建設業 p81
第四章 躍進する兼喜会 p83
第一節 戦後の建設業界 p83
“まず、復興”が合言葉 p83
大手業者の復活 p83
業界の体質改善 p83
戦後建設投資の変遷 p83
第二節 戦後の建設労働 p86
労働基準法の実施とその影響 p86
職業安定法とコレット旋風 p86
労働組合法とエーミス勧告 p86
労働力不足の常態化 p86
高騰する賃金・低迷する生産性 p86
目標にほど遠い職業訓練 p86
災害防止活動の活溌化 p86
立ちおくれた社会保障 p86
兼喜会災害防止協議会の生立ち p86
組織化しにくい建設労務者 p86
明るい建設労働へ p86
第三節 地区兼喜会の生立ち p100
清水建設全国連合兼喜会結成へ p100
名古屋兼喜会 p100
大阪兼喜会 p100
京都兼喜会 p100
広島兼喜会 p100
四国兼喜会 p100
九州兼喜会 p100
北陸兼喜会 p100
仙台兼喜会 p100
北海道兼喜会 p100
第四節 下請企業の近代化 p126
近代化への本社の指導と援助 p126
近代化への当会の動き p126
第五節 これからの兼喜会 p126
わが国建設産業の将来への展望 p126
建設産業の構造の変化 p126
下請制度の改善 p126
兼喜会の将来 p126
当会の基本的倫理 p126
資料編 〔2-〕1
年表 〔2-〕137
本社関連・業界関連・施工関係 〔2-〕137
索引リスト
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