(株)山梨中央銀行『創業百年史』(1981.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
- この年、興産金取扱所21カ所となる 当行
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
1月7日 佐竹作太郎取締役に就任(支配人兼任) 当行
1月 県会第1回半数改選 県内
2月11日 東京支店類焼(諸帳簿・重要書類等は無事。13日より仮営業所で営業再開) 当行
3月29日 饒益社(のち饒益銀行)設立 県内
4月1日 銀貨1円に対し紙幣価格1円80銭となる(紙幣下落の極点) 国内
4月15日 東京支店移転(日本橋区堀留町1丁目3番地) 当行
5月 大阪同盟銀行集会所設立 国内
6月30日 地租改正事業完了(地租改正事業局廃止) 国内
7月9日 明治生命保険会社開業(わが国最初の生命保険会社) 国内
8月 師範学校および女子師範学校を山梨学校および山梨女学校と改める 県内
10月1日 大蔵省為替方取扱契約継続 当行
10月15日 漸進社(のち漸進銀行)設立 県内
10月21日 松方正義、大蔵卿に就任(不換紙幣整理に着手) 国内
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
1月7日 頭取栗原信近退任(取締役に留任)、佐竹作太郎第2代頭取に就任、副支配人小野金六を支配人にまた、高添融を本店詰副支配人に任命 当行
1月11日 岳陰社(のち明見銀行)設立 県内
2月22日 真栄社(のち真栄銀行)設立 県内
2月28日 積宝社(のち積宝銀行)設立 県内
3月 農産社倒産 県内
4月18日 后栄社(のち巨摩銀行)設立 県内
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