※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 野田町は葛飾県の管轄となり第一大区第十二小区に編入される | 創立前年表 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月31日 | 大火あり、焼失戸数四百余戸、茂木七左衛門、都辺与四郎、茂木勇右衛門等の醤油醸造場、住宅、倉庫罹災 | 創立前年表 | |
11月13日 | 野田町は印旛県の管轄となる | 創立前年表 | |
- | 創立前年表 | ||
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 茂木利平、味噌業を廃し醤油専業となる | 創立前年表 | |
- | 二代茂木房五郎、自家の醤油醸造に復す | 創立前年表 | |
- | 野田郵便局設置、郵便取扱事務を開始 | 創立前年表 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 愛光小学校開校 | 創立前年表 | |
- | 野田町は千葉県の管轄となり第十二大区第十一小区となる | 創立前年表 | |
- | 柏家五代次男長三郎、茂木七郎右衛門家より分家、中野長兵衛家を興こす | 創立前年表 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 二代茂木房五郎、河野恵助より酢工場を買受ける | 創立前年表 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 茂木小学校開校 | 創立前年表 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 外輪蒸気船「通運丸」両国と上州笹良橋間運航開始 | 創立前年表 | |
- | 茂木啓三郎、茂木房五郎家より分家 | 創立前年表 | |
- | 万上印味淋宮内省御用達を拝命 | 創立前年表 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 郡区町村編成法発布、野田の大小区の名称廃止 | 創立前年表 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 三代茂木房五郎、借受中の飯田市郎兵衛家の醤油醸造場七棟を買受ける | 創立前年表 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 亀甲万印商標登録を出願し許可を得る | 創立前年表 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 亀甲万印独逸国政府へ商標登録を出願し許可を得る | 創立前年表 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 五代茂木七郎右衛門、私設化学試験所を設置 | 創立前年表 |