※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月 | 福沢諭吉、『西洋旅案内』で保険制度を紹介 | 業界事項 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月17日 | 江戸を東京と改称 | 一般事項 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 元号を明治と改元 | 一般事項 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 政府、保税倉庫保管貨物の一部引受け | 業界事項 | |
7月8日 | 大蔵省設置、駅逓寮で保険行政を所管 | 業界事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 陸運元会社(日本通運の前身)設立(6.10―陸上運送貨物の危険請負を開始) | 業界事項 | |
9月12日 | 新橋~横浜閲鉄道開通式 | 一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 太陰暦を廃止、太陽暦を採用 | 一般事項 | |
1月 | 北海道開拓使、保任社設立(海上の危険請負を開始、明7.5廃止) | 業界事項 | |
6月11日 | 第一国立銀行設立 | 一般事項 | |
11月1日 | 内務省設置、駅逓寮で保険行政引き継ぐ | 業界事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 陸運元会社、内国通運会社と改称 | 一般事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 西南戦争勃発(~9.24) | 一般事項 | |
5月 | 第一国立銀行、海上受合業務を開始(明12.8廃止) | 業界事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
12月12日 | 東京海上設立認可(わが国最初の損害保険会社) | 業界事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月7日 | 大蔵省に火災傑険取調掛設置 | 業界事項 | |
6月1日 | 東京株式取引所開業 | 一般事項 | |
7月 | 貨物海上保険認可(東京海上) | 業界事項 | |
8月1日 | 東京海上営業開始 | 業界事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月7日 | 農商務省設置保険行政を所管 | 業界事項 |