東京火災保険(株)『東京火災保険株式会社五十年誌』(1938.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
9月1日 横浜支店の地番横浜市中区太田町二丁目二十三番地と改称さる
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
1月16日 福岡支店を福岡市下西町五十番地に移転す
4月15日 本店所在地東京市麹町区永楽町二丁目十番地は東京市告示第九十号に依る行政区割変更の為め「東京市麹町区大手町一丁目六番地」と地番改称さる
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
6月22日 常務取締投小松林蔵氏逝去す
7月25日 横浜支店を横浜市中区本町二丁目十二番地に移転す
12月26日 傷害、信用、盗難、自動車及硝子保険事業免許せらる
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
7月13日 取締役社長安田善五郎氏社長退任、副社長男爵長松篤棐氏社長に、常務取締役南莞爾氏副社長に就任す
9月1日 神戸支店の地番神戸市神戸区栄町通二丁目三十九番地と改称さる
10月19日 大阪支店を大阪市東区北浜四丁目三十八香地に移転す
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
5月23日 京城支店を京城府黄金町二丁目百九十五番地に仮移転す
7月1日 札幌出張所を札幌市北一条西三丁目三番地に設置す
7月31日 男爵長松篤棐氏取締役社長を退任、評議委負に就任す
7月31日 取締役男爵四条隆英氏社長に就任す
8月28日 神戸支店を神戸市神戸区栄町通二丁目四十番地に仮移転す
12月16日 東京日本橋白木屋火災
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
3月1日 京城支店を京城府南大門通リ三丁目百六番地に復す
6月1日 札幌出張所を札幌市北四条西四丁目二番地に移転す
12月1日 神戸支店を神戸市神戸区栄町通二丁目三十九番地に復す
昭和9年(1934) - 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 渋沢関係略年譜
3月18日 仙台支店を仙台市南町十八、十九番地に仮移転す
3月21日 函館市大火
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