明治生命保険(相)『創業第二世紀の明治生命110年史』(1993.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
1月1日 共済五百名社開業 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
6月 小幡篤次郎と荘田平五郎、「東京生命保険会社創起見込書」起草 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
9月29日 日東保生会社設立認可(14・6・21解社) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
2月21日 阿部泰蔵と物集女清久、交詢社内において創立事務にあたる 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
6月13日 「有限明治生命保険会社設立願」を東京府に提出、同二十九日付で認可(資本金一〇万円) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
7月8日 創立総会を明治会堂で開き、取締と検査掛を選任、本店を京橋区木挽町二丁目一四番地に置く 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
7月9日 開業。阿部泰蔵が頭取に、物集女清久が支配人に就任 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
7月18日 第一号生命保険証券を発行(契約者・被保険者 宇都宮三郎、尋常終身、保険金二、〇〇〇円) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
9月7日 阿部頭取、地方巡回開拓に出発(明治22年ごろまで全国各地を巡回) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
10月15日 大阪支店新設 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
10月19日 横浜の丸善為換店と代理店契約を結ぶ 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
10月21日 松方正義、大蔵卿に就任(紙幣整理に着手、「松方デフレ」起こる) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
明治15年(1882) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 渋沢関係略年譜
1月27日 最初の死亡保険金支払い(被保険者・川井久徴、死亡保険金一、〇〇〇円) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
5月29日 東京・芝にコレラ発生(この年、全国で約三万人死亡) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
10月10日 日本銀行開業 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
1月21日 本店を日本橋区南茅場町二〇番地に移転 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
7月9日 第一期決算(満四年ごと)実施、利付保険契約者に第一回利益配当実施 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
11月 わが国最初の団体加入実施(石川島平野造船所) 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼当社
12月22日 内閣制度創設 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
3月29日 三菱社設立 略年表 明治13年~昭和55年(一八八〇~一九八〇)▼業界・一般
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