安田生命保険(相)『安田生命百年史』(1980.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
11月11日 安田善之助、二代善次郎を襲名 安田生命
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月 南洋諸島委任統治開始 業界・一般
4月20日 定年制、退職手当金制を実施 安田生命
7月1日 外勤員規程を制定 安田生命
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
4月6日 所得税法一部改正公布(生命保険料年額二〇〇円まで課税所得から控除、大正一三年度の所得税から適用) 業界・一般
7月 本店機構を一〇課制とする 安田生命
9月1日 関東大震災により本店および東京支店類焼 安田生命
9月1日 関東大震災発生、東京・横浜の死者九万人余、損害五五億円 業界・一般
9月3日 本店および東京支店を麹町区永楽町に移転 安田生命
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
4月27日 本店および東京支店を日本橋区鎧河岸に復帰 安田生命
8月15日 社報「共済」発刊 安田生命
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
2月 共済倶楽部設立 安田生命
3月1日 東京放送局開設 業界・一般
4月1日 保険監督業務、商工省の所管となる 業界・一般
5月5日 普通選挙法公布 業界・一般
5月 この年以降、職員の定期健康診断を実施 安田生命
9月10日 本店機構を四部一三課制とする 安田生命
12月 保有契約高二億円達成 安田生命
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
3月15日 二代安田善四郎社長を辞任、安田善五郎社長に就任//旧共済五百名社社員の保険料払込を免除 安田生命
4月9日 保険業法施行規則改正、チルメル式保険料積立期間を制限 業界・一般
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