※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
8月23日 | 京王電気軌道診療所を桜上水駅構内に開設 | 一般管理部門 | |
9月8日 | イタリア、連合国に無条件降伏 | 業界・社会一般 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 青梅鉄道、南武鉄道が国有化 | 業界・社会一般 | |
5月27日 | 東海道乗合自動車、藤沢自動車と伊勢原自動車を合併、神奈川中央交通と改称 | 業界・社会一般 | |
5月31日 | 陸上交通事業調整法により京王電気軌道(株)は東京急行電鉄(株)と合併、同社京王営業局となる。京王電気軌道の東京急行電鉄との合併により、東都乗合自動車ならびに鳩ヶ谷自動車を譲渡 | 一般管理部門 | |
11月24日 | 東京大空襲 | 業界・社会一般 | |
12月 | 東都乗合自動車、中仙道乗合自動車と鳩ヶ谷自動車を合併 | 業界・社会一般 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 御陵線(北野~多摩御陵前間6.4km)営業休止 | 鉄道部門 | |
3月10日 | 東京大空襲、死者10万人、5.25の大空襲で都内区部の大半が焼失 | 業界・社会一般 | |
3月14日 | 営業局を廃止。管理部制を実施 | 一般管理部門 | |
5月7日 | ドイツ、連合国に無条件降伏 | 業界・社会一般 | |
7月24日 | 京王新宿駅(新宿3丁目)を省線新宿駅青梅口(現西口)に移転開業 | 鉄道部門 | |
8月15日 | 京王線全線を地方鉄道法に変更(10.1実施) | 鉄道部門 | |
8月15日 | ポツダム宣言受諾発表、終戦詔書放送 | 業界・社会一般 | |
11月6日 | GHQ、財閥解体・資産凍結を指令 | 業界・社会一般 | |
12月22日 | 労働組合法公布 | 業界・社会一般 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
1月8日 | 定年制を実施(満55歳) | 一般管理部門 | |
1月16日 | 京王管理部桜上水車庫で出火により車両5両焼失 | 鉄道部門 | |
2月17日 | 金融緊急措置令公布施行、新円発行・旧円預貯金封鎖 | 業界・社会一般 | |
7月6日 | 大日本帝国を「日本国」と改称 | 業界・社会一般 |