東邦海運(株)『東邦海運株式会社十五年史』(1962.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和36年(1961) - 【渋沢敬三】角川書店より『犬歩当棒録 : 祭魚洞雑録第三』刊行。 渋沢関係略年譜
3月28日 日魯漁業より定期傭船中の栄光丸は堺港において返船、同時に同社より買戻しの上、三菱商事に解撤船として売却した。
4月17日 科学技術週間にあたり、甲板長中村永喜は鎗口蓋板開閉具の考案により、科学技術庁長官賞を授与された。
5月29日 第二十八回定時株主総会において取締役に山口定男、伊吹範司、新谷健市及び酒井欽郎の四氏が選任され就任。
6月10日 会社機構の一部を次の通り改正した。 一、経理部株式課を廃止する。 二、営業部を業務課、遠洋課、近海課、査業課及び傭船課の五課とする。
6月12日 本社事務所を左記へ移転した。東京都中央区京橋一丁目三番地二三新八重洲ビル
6月26日 当社並びに丸邦運輸倉庫社長小川勝太郎氏との共同出資により、日邦港湾建設株式会社が設立された。
7月10日 臨時取締役会において、日鉄汽船、日邦汽船との合併方針が承認可決された。
7月20日 第二十一回海の記念日にあたり、日本海運倶楽部及び横浜マリンタワーにおいて海事功労者並びに船員の表彰式が挙行された。当社関係では機関長松下直応、船長加藤好幸、甲板長中村永喜漆それぞれ表彰状を授与された。
9月26日 鉄邦丸の進水式を名古屋造船所において挙行した。
11月6日 日鉄汽船との合併契約を締結した。
11月28日 第二十九回定時株主総会において、日鉄汽船との合併契約書承認可決。なお取締役に井上清臣氏が再選され重任、監査役に森春武、瀬之口虎男の両氏が再選され重任。 当日開催された日鉄汽船の定時株主総会において当社取締役上中龍男、同藤井剛、同井上清臣、同冨士豊、同山口定男、同贄川正二、同久保甫、同伊吹範司の八氏は同社取締役に選任され兼任した。
12月7日 東城丸の進水式を三菱日本重工業横浜造船所において挙行した。
12月8日 社史編纂委員会を設置した。本委員会の構成員は次の通り。委員長専務取締役藤井剛、委員(主任)取締役山口定男、委員取締役企画室長久保甫、同取締役総務部長酒井欽郎、同取締役経理部長贄川正二、同営業部長木村一夫、同取締役海務部長伊吹範司、同工務部長北島浅次郎。
12月15日 かねて建造中の鉄邦丸は名古屋造船所において竣工、受渡を完了した。
昭和37年(1962) - 【竜門社】寄託中の日本実業史博物館準備室旧蔵資料を文部省史料館に寄贈する。 渋沢関係略年譜
2月3日 当社創立十五周年記念式典を挙行し、十五年勤続者湯浅晃一ほか二九〇名に対し表彰を行つた。
2月15日 日鉄汽船との合併を実行し、同日、日鐵汽船は商号を「新和海運株式会社」と変更、本店を東京都中央区京橋一丁目三番地に移転した。
3月20日 新和海運株式会社の臨時株主総会において、かねて所要手続を進めていた当社と日鉄汽船との合併に関する事項報告の承認を経て当社は解散した。
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