日本航空(株)『日本航空10年の歩み : 1951-61』(1964.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和27年(1952) - 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 渋沢関係略年譜
1月17日 整備会社設立を決定 項目
1月17日 ◆自主運航に備え、航空機整備業務を行なう別会社の設立を決定 記事
1月19日 韓国、李承晩ライン(朝鮮沿岸の統治権)を宣言 参考事項
2月2日 札幌出張所の改称 項目
2月2日 ◆札幌出張所を札幌支所と改称 記事
2月9日 インターライン・セールス開始 項目
2月9日 ◆NWAなど数社との間に航空券相互代売契約を結び業務を開始 記事
2月23日 5番機就航 項目
2月23日 ◆マーチン2-0-2「か星」就航 記事
2月25日 整備要員教育訓練開始 項目
2月25日 ◆自主整備体制切換えに備え整備要員20名に対して羽田においてNWAの教官により整備部門中堅要員の養成訓練を開始 記事
2月28日 日米行政協定調印 参考事項
3月1日 便名改称 項目
3月1日 ◆従来便名の路線名表示に頭文字(大阪線O、福岡線F、札幌線S)を便数に冠してきたがこれを大阪線100番台、福岡線300番台、札幌線500番台数字に変更 記事
3月3日 6番機就航 項目
3月3日 ◆マーチン2-0-2「ど星」就航 記事
3月4日 初の貸切飛行を実施 項目
3月4日 ◆十勝沖地震を取材する内外9新聞社の求めによる東京―札幌―被災地間の貸切飛行を行なう 記事
3月4日 北海道十勝沖の地震により東北、北海道の被害甚大 参考事項
3月8日 伊丹空港ターミナル竣工 項目
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