※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 大蔵少輔(次官)事務取扱となる | 当社(創業前史) | |
9月12日 | 新橋―横浜間(26km)鉄道開業式 | 業界および一般 | |
10月16日 | 次男篤二出生(長男市太郎は夭折) | 当社(創業前史) | |
11月9日 | 太陰暦を太陽暦に改める詔書を発布 | 業界および一般 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月4日 | 横浜運上所を横浜税関と改称 | 業界および一般 | |
5月6日 | 大蔵省退官 | 当社(創業前史) | |
8月1日 | 第一国立銀行開業(栄一総監役) | 当社(創業前史) | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月23日 | 北海道屯田兵制度を設ける | 業界および一般 | |
10月 | 政府、米穀輸送改善方法を栄一と喜作に諮る。喜作は東京市民用の米を全国から回送、深川の倉庫に収容し、「米穀荷扱処」の名で荷捌をする | 当社(創業前史) | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月13日 | 政府、平民の称姓を義務化 | 業界および一般 | |
5月7日 | ロシアと千島・樺太交換条約調印 | 業界および一般 | |
8月1日 | 第一国立銀行頭取となる | 当社(創業前史) | |
8月 | 栄一の尽力により、商法講習所(現・一橋大学)開設 | 当社(創業前史) | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 廃刀令を定める | 業界および一般 | |
7月1日 | 三井銀行設立、開業(最初の私立銀行) | 業界および一般 | |
8月 | 深川区福住町に近江屋喜左衛門旧邸を譲り受け、本邸とする | 当社(創業前史) | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争始まる(9.24西郷隆盛自刃) | 業界および一般 | |
12月 | 栄一の商業手形普及運動、蔵屋敷および官用倉庫施設の廉価払い下げなどの影響により、米、雑穀、肥料等を受寄物とする近代倉庫業の萌芽が現れ始める。択善会(栄一らが7月1日組織)発券倉庫設置を政府に建議 | 当社(創業前史) | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 東京商法会議所、東京株式取引所、東京海上保険会社など栄一が主となり設立 | 当社(創業前史) | |
5月1日 | パリ万国博覧会開催 | 業界および一般 |