渋沢倉庫(株)『渋沢倉庫百年史』(1999.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保11年(1840) - 【渋沢栄一】天保11年2月13日(1840年3月16日)、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市血洗島)に生まれる。幼名は市三郎。渋沢家は代々の農家で養蚕と製藍を兼業。〔0歳〕 渋沢関係略年譜
2月13日 渋沢栄一、武州榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)にて出生(幼名は市三郎) 当社(創業前史)
7月 (清)阿片戦争起こる 業界および一般
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
9月7日 梅田雲浜ら京都・江戸で尊攘派の志士次々に逮捕される 業界および一般
12月7日 名を栄二郎と改める。千代と結婚。(維新後栄一と名乗る) 当社(創業前史)
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
6月7日 高杉晋作ら奇兵隊を編成 業界および一般
11月8日 従兄弟の渋沢喜作ら有志と攘夷を計画。中止して喜作と京都に逃れる 当社(創業前史)
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
2月 一橋家に出仕。財政改革殖産興業に活躍 当社(創業前史)
6月5日 新撰組、池田屋を襲撃 業界および一般
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
12月5日 徳川慶喜征夷大将軍、内大臣に補任される 業界および一般
12月 幕臣となる 当社(創業前史)
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
1月11日 徳川慶喜の弟、民部大輔昭武に従い、フランスに渡航 当社(創業前史)
10月24日 慶喜将軍職の辞職を請う 業界および一般
12月9日 王政復古の大号令 業界および一般
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
1月3日 戊辰戦争(鳥羽伏見の戦い)起こる 業界および一般
12月 日本に帰国。駿河藩勘定組頭を命ぜられる 当社(創業前史)
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
9月8日 明治と改元し、一世一元の制を定める 業界および一般
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
1月16日 静岡において日本最初の株式組織商法会所(のち常平倉と改称)設立 当社(創業前史)
3月28日 東京遷都 業界および一般
6月17日 諸藩主の版籍奉還 業界および一般
11月5日 明治新政府に出仕。租税正、以後大蔵少丞、大蔵大丞、紙幣頭に累進 当社(創業前史)
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