日本電信電話公社東京電気通信局『東京の電話 : その五十万加入まで. 中』(1961.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
11月 通信検閲課を廃止、通信監督局設置 日本の電話
11月 熊本逓信局、電話ベル代用品に磁器製ベルを完成 日本の電話
12月1日 学徒出陣 社会一般
12月4日 日本電話設備株式会社設立 日本の電話
12月7日 大阪・バンコック間、無線電話停止 日本の電話
12月15日 不要不急電報受付停止 東京のうごき
12月21日 都市疎開実施要綱発表 東京のうごき
12月 新潟・松山両逓信局設置 日本の電話
- 中央電話局前大洞道に耐弾層を構築 東京の電話
- 東京・大阪間に検波中継方式により超短波多重電話方式設備 東京の電話
- 東京・足柄間に同軸入複合搬送ケーブルを布設、実験 東京の電話
- 戦時技術心得制定 日本の電話
- 英・米、レーダーを実用化 社会一般
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月4日 戦時官吏服務令公布 社会一般
1月9日 都電の急行運転、終日実施 東京のうごき
1月10日 番号案内は有料となる。取扱いは午前八時から午後九時 東京の電話
1月16日 大阪府豊中・浜寺・池田局共電式に逆改式 日本の電話
1月17日 軍需会社第一次指定 社会一般
1月19日 東京・ブエノスアイレス間無線電話連絡停止 東京の電話
1月26日 建物疎開第一次指定の強制取壊しはじまる 東京のうごき
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