日本製粉(株)『日本製粉株式会社七十年史』(1968.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
12月21日 第五八回定時株主総会 日本製粉の動き
- 〈この年、無産政党運動高まる〉 日本と世界の動き
- この年、函館市海岸町==番地に工場用地八四〇坪を買収(昭和八年売却) 日本製粉の動き
- この年、生産能力過剰のため小麦粉価格続落。中国および関東州向け輸出著増、以後も輸出は伸び、製粉業は輸出産業的色彩を帯びる 業界の動き
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月 第一次若槻(憲政会)内閣成立 日本と世界の動き
3月29日 小麦関税一〇〇斤につき一円五〇銭、小麦粉一〇〇斤につき二円九〇銭に引上げ。内地小麦作増加に転じ小麦自給率高まる 業界の動き
3月 労働農民党結成 日本と世界の動き
3月 営業収益税法、資本利子税法 日本と世界の動き
3月 大連出張所設置 日本製粉の動き
5月26日 日本、日清、増田、松本米穀、名古屋、大阪、日本精米七社で生産制限協定(~昭和三年五月) 業界の動き
6月24日 第五九回定時株主総会 日本製粉の動き
7月 中国国民党軍全国平定のため北上 「北伐」開始 日本と世界の動き
8月1日 生産制限協定により当分の間札幌工場運転休止 日本製粉の動き
10月2日 日清製粉と合併に関する契約締結(同月二五日解約) 日本製粉の動き
11月25日 台湾銀行より八〇〇万円借入根抵当権設定契約締結 日本製粉の動き
12月24日 平野(復)、原田両取締役、平野(平)監査役辞任 日本製粉の動き
昭和元年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
12月25日 昭和と改元 日本と世界の動き
12月26日 谷取締役、篠原監査役辞任 日本製粉の動き
12月29日 第六〇回定時株主総会。根岸監査役退任、谷治之助監査役選任 日本製粉の動き
12月31日 高崎、仙台、小山出張所廃止 日本製粉の動き
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