※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和4年(1929) | - | 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月24日 | 世界恐慌はじまる | 一般事項 | |
11月1日 | 需用家サービス調査巡回総動員実施 | 東京ガスの歩み | |
12月 | 業余委員会設置(体育文化会の前身) | 東京ガスの歩み | |
昭和5年(1930) | - | 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月15日 | 銀座陳列所設置(京橋区銀座) | 東京ガスの歩み | |
7月27日 | バロース計算機二〇台を米国から導入 | 東京ガスの歩み | |
昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月19日 | 熱量販売制度実施(熱量を四、二〇〇kcal/m2に引上げ) | 東京ガスの歩み | |
4月24日 | 第一回日本ダービー、目黒競馬場で開催 | 一般事項 | |
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月8日 | 忠犬ハチ公死ぬ | 一般事項 | |
10月1日 | 創立五十周年記念事業実施 | 東京ガスの歩み | |
昭和12年(1937) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会が、小畑久五郎著“An Interpretation of the Life of Viscount Shibusawa”を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月6日 | 朝日新聞社機「神風号」、東京―ロンドン間飛行新記録 | 一般事項 | |
昭和13年(1938) | - | 【渋沢敬三】国民貯蓄奨励委員会委員。 | 渋沢関係略年譜 |
7月15日 | 需用家一〇〇万件突破 | 東京ガスの歩み | |
昭和14年(1939) | - | 【竜門社】財団法人渋沢青淵翁記念会と共催で「青淵先生生誕百年記念祭」を挙行する。日本実業史博物館建設地鎮祭を挙行する。 | 渋沢関係略年譜 |
8月4日 | 戦争拡大で社用ガス自粛(風呂及び暖房用使用禁止) | 東京ガスの歩み | |
昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月8日 | 東京瓦斯産業報国会結成 | 東京ガスの歩み | |
9月2日 | 東京瓦斯青年学校開校 | 東京ガスの歩み | |
12月8日 | 太平洋戦争に突入 | 一般事項 | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
12月31日 | 需用家一〇六万四、三三五件、創設以来最高件数を記録 | 東京ガスの歩み | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | 軍需会社に指定される(従業員に徴用令書伝達) | 東京ガスの歩み | |
11月10日 | 関東瓦斯(株)、横浜瓦斯(株)と各合併契約締結 | 東京ガスの歩み | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月13日 | 池袋供給所及び牛込他四派出所、空襲により全焼 | 東京ガスの歩み | |
8月15日 | 戦争終結の詔書を放送 | 一般事項 |