(株)帝国ホテル『ホテルと共に七十年』(1964.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
8月 (二十八歳)ロンドン到着。ホルボンバイアタクト鉄道ホテルに就職。 [犬丸徹三]年譜
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
9月 (二十九歳)ホルボンバイアタクト鉄道ホテルより、クラリッジス・ホテルに転じ、料理人として勤務。 [犬丸徹三]年譜
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
8月 (三十一歳)クラリッジス・ホテル辞任。 [犬丸徹三]年譜
9月 (三十一歳)フランス、パリに赴く。 [犬丸徹三]年譜
11月 (三十一歳)イギリスに戻り、渡米。ニューヨーク、リッツガルトン・ホテルに料理人として迎えらる。 [犬丸徹三]年譜
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
3月 (三十二歳)リッツガルトン・ホテルより、ウォルドルフ・アストリア・ホテルに移る。 [犬丸徹三]年譜
11月 (三十二歳)同ホテル[ウォルドルフ・アストリア・ホテル]を辞す。 [犬丸徹三]年譜
12月 (三十二歳)故国へ出発。 [犬丸徹三]年譜
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月 (三十三歳)帰国。 [犬丸徹三]年譜
1月 (三十三歳)帝国ホテル入社、副支配人に就任し、新館料理場を設計す。 [犬丸徹三]年譜
9月 (三十三歳)新館起工。 [犬丸徹三]年譜
12月 (三十三歳)ホテル別館全焼す。 [犬丸徹三]年譜
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
5月 (三十五歳)結婚。新婦、小林三郎氏二女治子。 [犬丸徹三]年譜
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
1月 (三十六歳)「旅館営業と重要法規の研究」を著述、出版す。 [犬丸徹三]年譜
4月 (三十六歳)ホテル旧館焼失、営業を休止す。 [犬丸徹三]年譜
7月 (三十六歳)新館一部落成し、開業。 [犬丸徹三]年譜
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
4月 (三十七歳)支配人に昇格す。 [犬丸徹三]年譜
7月 (三十七歳)ホテル学校開講、十数日間授業をおこなう。 [犬丸徹三]年譜
8月 (三十七歳)新館全屋竣工。 [犬丸徹三]年譜
9月1日 (三十七歳)関東大震災発生。ホテルは被災を免れたるも、開業披露宴は中止。社屋焼失せる報道通信各社その他、及び罹災したる英、米、仏、伊の各国大使館に新館各室を事務所として提供す。 [犬丸徹三]年譜
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