※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ドイツ降伏、国際連合憲章なる | 世界の歴史 | |
- | ポツダム宣言発表 | 世界の歴史 | |
昭和21年(1946) | - | 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日本国憲法公布 | 日本の歴史 | |
昭和24年(1949) | - | 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 北大西洋条約機構成立 | 世界の歴史 | |
昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 朝鮮戦争始まる | 世界の歴史 | |
昭和26年(1951) | - | 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 対日平和条約・日米安全保障条約調印 | 日本の歴史 | |
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 接収解除 自由営業再開 | 帝国ホテルの歴史 | |
昭和28年(1953) | - | 【竜門社】懸賞論文の募集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 特急「つばめ」号列車食堂開業 | 帝国ホテルの歴史 | |
- | テレビ放送始まる | 日本の歴史 | |
昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第一新館完成 | 帝国ホテルの歴史 | |
昭和30年(1955) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会、『渋沢栄一伝記資料』第1巻を刊行する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | アジア・アフリカ会議 | 世界の歴史 | |
昭和31年(1956) | - | 【竜門社】創立70周年記念総会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 一般景況活発、外国人客増勢続く | 帝国ホテルの歴史 | |
- | 日ソ国交回復・国際連合に加盟 | 日本の歴史 | |
昭和32年(1957) | - | 【渋沢敬三】第16回ICC総会に日本代表団団長として出席のため渡欧。外務省顧問に就任、「移動大使」として中南米諸国を歴訪。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ソ連、人口衛星打上げに成功 | 世界の歴史 | |
昭和33年(1958) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『南米通信 : アマゾン・アンデス・テラローシャ』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第二新館完成 | 帝国ホテルの歴史 | |
昭和35年(1960) | - | 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 日米新安全保障条約に調印 | 日本の歴史 | |
- | 所得倍増政策が打ち出され、高度経済成長期に入る | 日本の歴史 | |
昭和38年(1963) | - | 【渋沢敬三】昭和37年度「朝日賞」文化賞受賞、贈呈式に出席。10/25死去。その直前に勲一等瑞宝章を授与さる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 部分的核実験停止条約成立 | 世界の歴史 | |
昭和39年(1964) | - | 【竜門社】曖依村荘内の表門、晩香廬、青淵文庫の改修工事を終了する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東海道新幹線開通 | 日本の歴史 | |
- | 東京オリンピック開催 | 日本の歴史 |