※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
12月29日 | ・東京宝塚劇場修祓式挙行 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
- | ・東京宝塚劇場開場予告の新聞で、初めて五線譜の囲み使用 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
- | ・ヨーヨー、ベビーゴルフ場 | 世相と流行 | |
- | ・「島の娘」「サーカスの唄」「東京行進曲」「東京音頭」 | 流行歌 | |
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | ・東京宝塚劇場開場(一日)一日を招待日として二日から一般興行「花詩集」ほか上演 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
1月1日 | ・機関紙「東宝」創刊 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
1月16日 | ・東宝専属俳優詮衡、一千三百名の中から男子十九名、女子九名を採用 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
1月16日 | ・映画俳優岡田時彦逝去 | 文化・芸能 | |
1月19日 | ・エチオピア皇太子妃候補黒田雅子と決定 後にイタリアの圧力で破談 | 社会 | |
1月20日 | ・富士写真フィルム株式会社創立 | 文化・芸能 | |
1月24日 | ・本社を三信ビルから日比谷映画劇場内に移転 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
1月 | ・ピー・シー・エル第一回作品「只野凡児人生勉強」東京では日劇で封切 ヒット | 東宝の動き[東宝映画] | |
1月 | ・第一回日本新劇祭、築地小劇場で開催 | 文化・芸能 | |
1月 | ・日活の現代劇部、京都太秦の時代劇部と分離し東京多摩川に移転 | 文化・芸能 | |
2月1日 | ・日比谷映画劇場開場(一日)入場料五十銭均一は映画興行の新形式として一紀元を画す、独トビス「南の哀愁」ユナイト「ウインナ・ワルツ」を上映 | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
2月8日 | ・「東宝ニュース」を朝日新聞社と提携して製作、日比谷映画劇場に定期的上映、日本のニュース映画の定期上映は最初の試みとして注目をあびる | 東宝の動き[東京宝塚劇場] | |
2月9日 | ・中島久万吉商工大臣は足利尊氏讃美論で追求され辞任 | 社会 | |
2月15日 | ・鳩山一郎文部大臣は収賄で攻撃を受け(十五日)「明鏡止水」といって辞任(三月三日) | 社会 | |
2月24日 | ・作家直木三十五逝去 | 文化・芸能 | |
3月1日 | ・満州国帝政実施 | 社会 |