"三浦銕太郎"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治32年(1899) | 7月26日 | 山下(三浦)銕太郎入社 | 東洋経済関係 |
明治33年(1900) | 5月 | 天野為之、編集・経営の実務を植松考昭・三浦銕太郎・松岡忠美・松下知陽の4社員に託し、植松を編集主任、松下を営業主任とする | 東洋経済関係 |
明治37年(1904) | 5月 | 植松考昭の応召により、三浦銕太郎が主幹代理として社の経営に当たる | 東洋経済関係 |
明治40年(1907) | 5月1日 | 植松考昭・三浦銕太郎・松岡忠美・松下知陽の4人を社員とする合名会社東洋経済新報社を組織、資本金3200円代表員に植松考昭(専務)、三浦銕太郎を選出//毎年5月1日を合名会社創立記念日、11月15日を新報創刊記念日とすることを定める | 東洋経済関係 |
大正4年(1915) | 5月3日 | 三浦銕太郎宅で社員有志による「ミル研究会」第1回開催 | 東洋経済関係 |
大正5年(1916) | 4月8日 | 三浦銕太郎主幹、台湾勧業共進会視察のため訪台、その後中国大陸を視察 | 東洋経済関係 |
大正10年(1921) | 7月22日 | 社内に太平洋問題研究会設置(座長鈴木梅四郎、三浦銕太郎・石橋湛山が参加) | 東洋経済関係 |
11月22日 | 合名会社東洋経済新報社を株式会社に改組(資本金5万円)、三浦銕太郎主幹が代表取締役専務に就任 | 東洋経済関係 | |
大正13年(1924) | 12月 | 研究部を設置//当社編『金融六十年史』刊行//三浦銕太郎に代わり石橋湛山が主幹に就任 | 東洋経済関係 |
大正14年(1925) | 1月25日 | 臨時株主総会開催、石橋湛山が代表取締役・専務に、取締役に高橋亀吉・神原周平が就任(三浦銕太郎は取締役を辞任) | 東洋経済関係 |
6月 | 中橋徳五郎の寄贈基金により研究部において三浦銕太郎を委員長、高橋亀吉を主査として農村経済の調査研究を開始 | 東洋経済関係 | |
- | この年、三浦銕太郎、東京府荏原郡馬込村の村会議員となる | 東洋経済関係 | |
昭和9年(1934) | 3月15日 | はじめて「社制」を実施、三浦銕太郎を相談役に、神原周平・大野亀太郎・松永和吉・山田秀雄・小野文英・小倉政太郎・三宅晴暉・周東保造・阿部嘉蔵を理事に関西支局長は阿部嘉蔵から小倉政太郎に | 東洋経済関係 |
昭和19年(1944) | 4月25日 | 経済倶楽部10周年事業として三浦銕太郎『世界転換史』(非売品)を会員に配布(戦後、出版) | 東洋経済関係 |
昭和21年(1946) | 7月20日 | 取締役増員(三浦銕太郎・小倉政太郎・岸本秀吉・前田潔巳・栂井義雄新任)、監査役に小熊孝.三浦銕太郎会長就任 | 東洋経済関係 |
昭和22年(1947) | 1月15日 | 『東洋経済統計月報』1月号より復刊//三浦銕太郎、経済倶楽部理事長に | 東洋経済関係 |
3月3日 | 臨時株主総会開催、三浦銕太郎、取締役・会長辞任.斎藤幸治・綿野脩三・大原万平・村山公三を取締役に選任(憎員) | 東洋経済関係 | |
昭和26年(1951) | 11月27日 | 三浦銕太郎と石橋湛山、相談役に就任 | 東洋経済関係 |
昭和47年(1972) | 5月8日 | 第4代主幹三浦銕太郎死去 | 東洋経済関係 |
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