(株)平凡社『平凡社六十年史』(1974.06)

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月日 事項 年表種別
大正3年(1914) 4月30日 下中芳岳(弥三郎)編著《ポケット顧問 や、此は便利だ》(通称、や便)初版、秋永常次郎の成蹊社から刊行(のち、平凡社発行となる)//*下中弥三郎、埼玉師範の教諭を辞し嘱託となる 平凡社 *印は関連事項
11月8日 山雨楼主人(下中弥三郎)著《カイゼルの遺言》平凡社と和田耕文堂の共同出版 平凡社 *印は関連事項
- このころ、東京市下谷区谷中初音町に平凡社を創業、のちに6月12日(下中弥三郎の誕生日)をもって創業日とする 平凡社 *印は関連事項
大正7年(1918) 3月12日 *下中弥三郎、埼玉師範嘱託を退く 平凡社 *印は関連事項
8月 *下中弥三郎、満鉄の依嘱をうけ旅順図書館の経営にあたる 平凡社 *印は関連事項
大正8年(1919) 1月 *下中弥三郎、東亜印刷株式会社(大連)取締役となる 平凡社 *印は関連事項
4月 *下中弥三郎、旅順より帰国、東亜印刷株式会社東京支社を設立、責任者となる 平凡社 *印は関連事項
8月4日 *下中弥三郎を中心に新しい教育団体として啓明会結成 平凡社 *印は関連事項
大正9年(1920) 3月12日 *下中弥三郎、神楽坂倶楽部のコノ会に出席し、労働運動への関係をふかめる 平凡社 *印は関連事項
5月2日 *下中弥三郎、第1回メーデーで主催者を代表して演説する 平凡社 *印は関連事項
6月13日 *下中弥三郎、労働組合同盟会理事となる 平凡社 *印は関連事項
9月9日 *下中弥三郎著《教育自治の正道へ踏み出せ》を日本教員組合啓明会から出版 平凡社 *印は関連事項
11月1日 *下中弥三郎著《教育再造》を啓明会から出版 平凡社 *印は関連事項
大正10年(1921) 3月8日 *下中弥三郎ら(啓明会)教育擁護同盟を結成、政友会の小学校教育費整理案に反対して運動を展開する 平凡社 *印は関連事項
11月 *下中弥三郎、松岡駒吉と共同提案でロシア飢饉同情労働会議を結成する 平凡社 *印は関連事項
大正11年(1922) 2月4日 *下中弥三郎協力して《労働週報》(労働週報社)を創刊 平凡社 *印は関連事項
10月31日 *日本国際教育協会設立、下中弥三郎理事となる//*中絶していた《啓明》のあとをうけ、《文化運動》を第129号より啓明会の機関誌とする 平凡社 *印は関連事項
大正12年(1923) 5月25日 *下中弥三郎著《万人労働の教育》を内外出版株式会社から出版 平凡社 *印は関連事項
6月12日 平凡社を株式会社とする. 資本金5万円、代表取締役下中弥三郎、取締役高橋守平、高橋村吉、監査役大西平太郎、土師真一 平凡社 *印は関連事項
7月15日 *下中弥三郎、小原圀芳、志垣寛、為藤五郎共著《教壇回顧 飛礫》を集成社から出版 平凡社 *印は関連事項
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