(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

"山岡重孝"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和25年(1950) 2月16日 △本社の株式会社への改組ならびに増資問題に関する社員総会開かれ、資本金三倍増資、従業員への株式譲渡などを決定、元取締役務台光雄、工務局長前田末広、総務局長山岡重孝それぞれ取締役に選出さる 大戦以後
昭和28年(1953) 3月20日 △大阪読売新聞専務取締役営業局長に本社取締役営業局長八反田角一郎、本社営業局長に取締役総務局長山岡重孝、総務局長に常任監査役郡司宗秋就任す 大戦以後
11月1日 △本社機構を改革す。総務局と営業局を合併して業務局とし、企画調査局を廃止して事業本部を新設、新聞監査局を廃止して新聞監査委員会を新設、労厚本部廃止。新聞監査委員会委員長に主幹安田庄司(兼務)、業務局長に営業局長山岡重孝、事業本部長に企画調査局長渡辺文太郎、業務局総務に総務局長郡司宗秋(局長待遇)出版局総務に新聞監査局長和田副治(同)審議室次長労務担当役員補佐に労厚本部長橘英雄(同) 大戦以後
昭和29年(1954) 3月5日 △総務局を復活、総務局長に取締役業務局長山岡重孝、業務局長は専務取締役務台光雄兼務 大戦以後
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