(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

"武藤三徳"が書かれている年表項目はハイライトされています。

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月日 事項 年表種別
昭和21年(1946) 2月14日 △政経部次長武藤三徳業務局長に、業務局長八反田角一郎は待命休職となり、兼坂治郎、中島徹三、小川清、橋本道淳の各参与、馬立豊顧問ならびに印刷部長春名当実は退社 大戦以後
12月28日 △編集局長安田庄司、営業局長武藤三徳取締役に就任 大戦以後
昭和23年(1948) 9月14日 △取締役安田庄司主筆に、取締役業務局長武藤三徳常務取締役に就任 大戦以後
昭和25年(1950) 1月20日 △読売巨人軍独立して「株式会社読売巨人軍」となり武藤三徳を代表取締役とす 大戦以後
昭和26年(1951) 1月9日 △代表取締役社長馬場恒吾、常務取締役営業局長武藤三徳、取締役出版局長四方田義茂辞任し、取締役副社長兼編集主幹安田庄司代表取締役となり出版局長を兼務、取締役務台光雄常務取締役営業局長となり馬場恒吾顧問となる 大戦以後
2月15日 △株式会社巨人軍の代表取締役武藤三徳、取締役四方田義茂、同佐々木金之助辞任し、清水与七郎を代表取締役に、安田庄司、務台光雄、若林俊治を各取締役に選任す 大戦以後
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