(株)読売新聞社『読売新聞八十年史』(1955.12)

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月日 事項 年表種別
昭和21年(1946) 7月30日 △読売新聞従業員組合結成さる、執行委員長渡辺文太郎 大戦以後
昭和24年(1949) 2月18日 △労務厚生本部長に渡辺文太郎 大戦以後
昭和26年(1951) 2月23日 △取締役審議室長岡野敏成は労務厚生本部長兼務、労務厚生本部長渡辺文太郎は新聞監査局長 大戦以後
昭和27年(1952) 10月20日 △企画調査局長栗山利男大阪読売新聞社常務取締役編集局長となり、企画調査局長に新聞監査局長渡辺文太郎、新聞監査局長に編集局次長兼地方部長和田副治、編集局に連絡部を新設、部長景山与志雄 大戦以後
昭和28年(1953) 11月1日 △本社機構を改革す。総務局と営業局を合併して業務局とし、企画調査局を廃止して事業本部を新設、新聞監査局を廃止して新聞監査委員会を新設、労厚本部廃止。新聞監査委員会委員長に主幹安田庄司(兼務)、業務局長に営業局長山岡重孝、事業本部長に企画調査局長渡辺文太郎、業務局総務に総務局長郡司宗秋(局長待遇)出版局総務に新聞監査局長和田副治(同)審議室次長労務担当役員補佐に労厚本部長橘英雄(同) 大戦以後
昭和29年(1954) 12月11日 △取締役清水与七郎、監査役橋本道淳各辞任、事業本部長渡辺文太郎読売巨人軍代表に、事業本部長には橋本道淳就任 大戦以後
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