(株)読売新聞社『読売新聞百二十年史』(1994.11)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
6月13日 第2次争議起こる(馬場社長が鈴木編集局長ら6人に辞職勧告したことから。7.12正午から16午前11時まで5日間、工場ストで新聞発行止まる。10.8新従組と労働協約調印。10.16鈴木東民ら6人依願退職、31人の自発的退社で収束、10.30従業員組合一本化) 本社
6月14日 主筆に岩淵辰雄(~10.19)、編集局長に安田庄司 本社
7月23日 社団法人日本新聞協会を創立、新聞倫理綱領を制定 一般・マスコミ
9月1日 読売信条を発表(「真実・公平・友愛」を基調に、本紙の編集方針を鮮明にする。'84.1.1の社説でその精神を継承すると改めて表明) 本社
10月5日 放送スト(10.8~25国家管理) 一般・マスコミ
10月21日 農地改革の最終決定 一般・マスコミ
11月3日 新憲法公布('47.5.3施行) 一般・マスコミ
11月16日 当用漢字1850字と現代かなづかいを内閣告示 一般・マスコミ
12月2日 用紙対策委員会を設置 本社
12月8日 織田作之助の連載「土曜夫人」中絶('47.110没) 本社
12月10日 「読売政治年鑑」創刊(50年版から読売年鑑と改称) 本社
12月15日 報知新聞が夕刊「新報知」として復活('48.9.1再び「報知新聞」) 一般・マスコミ
- 幣原喜重郎内閣(~1946年) 一般・マスコミ
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
1月4日 東京―箱根間大学高専駅伝大会を6年ぶり復活 本社
1月17日 初の世論調査「街に聞く、次の内閣」を発表 本社
1月31日 GHQ、2.1ゼネスト中止命令 一般・マスコミ
2月15日 大日本東京野球倶楽部を読売興業株式会社に改組(4.3東京巨人軍を東京読売巨人軍と改称) 本社
2月26日 用紙事情悪化で3日間タブロイド判を発行、さらに3.2の新聞協会決定に基づき、教科書用紙供出のため3.9から5月まで週2回タブロイドとする 本社
4月1日 六三制の小中学校発足 一般・マスコミ
6月1日 片山哲内閣(~19--年) 一般・マスコミ
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