※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 参議院法制部より「商法編纂参考のため商慣習数十ケ条」の諮問あり、精査報答。 | ||
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大阪府より勧業月報編纂資料調査費として月額五〇円を交付さる(六月廃止)。 | ||
7月 | 大阪府より一カ年金二千五百円の補助金を下付さる。 | ||
7月 | 江越間鉄道布設の影響対策(大阪府勧業課諮問)報答書提出。 | ||
9月 | 中野副会頭病没。 | ||
10月 | 広瀬宰平を副会頭に再任、西川副会頭京都府へ転籍により寺村富栄を副会頭に選任。 | ||
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 「倉庫条例」につき農商務省諮問に報答。 | ||
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | <淀川氾濫> 臨時総会を開き、調査委員五名を京都滋賀地方に派遣するほか善後策を講ず。 | ||
9月 | 会頭五代友厚東京の客舎に病没す。 | ||
10月 | 広瀬宰平副会頭病気辞職。 | ||
11月 | 選挙会を開き、藤田伝三郎を会頭に、田中市兵衛、又木元衛を副会頭に選挙。 | ||
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 大阪府商工業組合準則布達さる。 | ||
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 又木元衛副会頭を辞任、寺村富栄を副会頭に再任。 | ||
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 商法会議所の組織を改革、規則を改正。 | ||
3月 | 藤田伝三郎会頭辞任、田中市兵衛会頭に、玉手弘通副会頭に就任。 | ||
7月 | 商品陳列場設立を計画。 | ||
9月 | 同業組合の経費を商法会議所が検定。 | ||
10月 | 商工業組合準則問題解決。 | ||
10月 | 「会社制裁法」に対する調査報告書を定式総会に提出。 | ||
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 会社条例に対する建議案提出。 |