※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和7年(1932) | - | 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月29日 | 国際連盟リットン調査団来日。 | 内外政治経済事情 | |
3月4日 | 国際連盟リットン調査団を迎え、日本工業倶楽部、日本商工会議所、日華実業協会と連合して歓迎茶会および晩餐会開催。 | 日本経済連盟会の動き | |
3月5日 | 団琢磨氏(昭和3年4月20日以来日本経済連盟会会長)暗殺さる。 | 内外政治経済事情 | |
3月31日 | 郷誠之助氏会長に就任。 | 日本経済連盟会の動き | |
5月15日 | 五・一五事件(犬養首相暗殺さる)。 | 内外政治経済事情 | |
5月24日 | 金融制度改善に関する意見書を建議。 | 日本経済連盟会の動き | |
5月26日 | 斎藤実内閣成立 | 内外政治経済事情 | |
6月2日 | 大阪地方常置委員を九氏に委嘱。 | 日本経済連盟会の動き | |
6月20日 | 在満事業を含む重要産業に対する対策を考究するため「重要産業対策設査中央委員会」設置(委員長郷誠之助氏)。 | 日本経済連盟会の動き | |
7月6日 | インドの綿布関税引上げに関し、インド総督府商務長官同国各地商業会議所宛てに、慎重公平なる配慮方希望を打電。 | 日本経済連盟会の動き | |
7月8日 | ローザンヌ賠償協定成立。 | 内外政治経済事情 | |
7月15日 | 国際連盟リットン調査団の来日に際し、日商(日本商工会議所)、工倶、日華実業協会と連合役員会を開催して、連名の声明書を決議し、一行に手渡す。 | 日本経済連盟会の動き | |
7月21日 | イギリス帝国経済会議オッタワに開催、オッタワ協定(帝国特恵関税制度)成立。(8月19日まで) | 内外政治経済事情 | |
8月13日 | 中小商工業振興に関する意見書を建議。 | 日本経済連盟会の動き | |
9月15日 | 満州国承認(日満議定書の調印)。 | 内外政治経済事情 | |
11月11日 | 『リットン報告書』反駁意見書を打電。 | 日本経済連盟会の動き | |
昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月26日 | 財政改善に関する意見書建議。 | 日本経済連盟会の動き | |
1月30日 | ドイツ、ヒットラー首班の右翼連合内閣成立。 | 内外政治経済事情 | |
3月4日 | アメリカ各連邦準備銀行一斉休業、金融恐慌全米に拡大。 | 内外政治経済事情 | |
3月5日 | アメリカ金輪出禁止。 | 内外政治経済事情 |