片倉工業(株)『片倉工業株式会社三十年誌』(1951.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
7月12日 第五回中央経営協議会を開催した。 二十年誌以降
7月19日 取締役社長中沢正英は絹業使節団の任務を終えて無事帰国した。 二十年誌以降
8月11日 第六回中央経営協議会を開催した。 二十年誌以降
8月24日 第六回中央経営協議会を開催した。 二十年誌以降
10月19日 取締役社長中沢正英は大日本蚕糸会副会頭に選任された。 二十年誌以降
10月23日 本社内に事務連絡委員会を設置した。 二十年誌以降
10月29日 第七回中央経営協議会を開催した。 二十年誌以降
11月8日 第七回中央経営協議会を開催した。 二十年誌以降
12月16日 取締役社長中沢正英は日本製糸協会々長に選任された。 二十年誌以降
12月20日 取締役小針喜三郎は第一回日本学術会議会員選拳に第六部中部地方区より立候補し当選した。 二十年誌以降
12月26日 未払込資本金三千三百九十万円を徴収し、且つ資本金を一億八千二百二十万円増加して二億五千万円に増資した。 二十年誌以降
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
1月23日 取締役福永健司は埼玉県第一区より衆議院議員選挙に立候補し当選した。 二十年誌以降
3月7日 下諏訪工場に絹織機二十四台を設置し織布製造を開始した。 二十年誌以降
3月12日 常務取締役中島覚衛は労働省より中央労働委員を委嘱された。 二十年誌以降
3月19日 鳥栖製糸所の閉鎖に件い、同所免許釜数を大宮製糸所に二十台、小城製糸所に二十台、仙台製糸所に四十台、高田製糸所に四十台、移設許可があつた。 二十年誌以降
4月1日 昭和二十四年度の操業方針として各所別適正運転釜数を決定した。 二十年誌以降
4月7日 第八回中央経営協議会を開催した。(~8日) 二十年誌以降
4月10日 繊維研究所においてKi型自動繰糸機の試作を完了した。 二十年誌以降
4月15日 過度経済力集中排除法による指定を解除された。 二十年誌以降
4月25日 懸賞論文「経営合理化の具体策」の当選者を発表した。応募数四七編、一等該当者なし、二等二編、三等三編、選外佳作八編 二十年誌以降
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