"浜岡光哲"が書かれている年表項目はハイライトされています。
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年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治19年(1886) | 12月16日 | 渋沢栄一、浜岡光哲外三十六氏の発起者相会し、資本金参拾五万円を以て京都織物会社の設立を計画、創立事務所を下京区第三組玉蔵町第二十番戸に設置す。 | |
明治20年(1887) | 2月27日 | 発起人総代浜岡光哲、田中源太郎外十一氏より創立願書を京都府知事北垣国道氏に提出す。 | |
6月22日 | 株主総会を京都商工会議所に開き、創立委員より本社創立事務の大要を報告、定款其他を議定、役員選挙を行ふ。委員に内貴甚三郎、浜岡光哲、田中源太郎、渡辺伊之助、熊谷辰太郎の五氏[、]相談役に渋沢栄一、大倉喜八郎、益田孝の三氏それぞれ当選、委員の互選を以て内貴甚三郎氏委員長に、熊谷辰太郎氏検査掛に当選す。 | ||
8月3日 | 委員浜岡光哲氏商工視察のため、欧来諸国を巡回するを以て、本社各部の機械購入外人雇入建築製図取調及び技師監督の件等を囑託す。 | ||
8月4日 | 委員浜岡光哲氏、各部技師を伴ひ英船「ベルチツク」号にて横浜解纜桑港に向ふ。 | ||
明治21年(1888) | 7月11日 | 委員浜岡光哲氏、織物部技師近藤徳太郎氏、仏国郵船「イラウワリジー」号にて帰朝す。 | |
8月6日 | 第一回定式株主総会を開き、委員長内貴甚三郎氏は試業の景況所務の大要建築の概況を説明、委員浜岡光哲氏は欧米各国に於ける織物、染物整理の景況及び諸機械購入の順序を説明次いで純益金処理の計算を議定、定款第二十一条に拠り委員の半数即ち田中源太郎、熊谷辰太郎の両氏を退職者と定め、更に株主一同重任を望み両氏之を承諾す。 | ||
明治24年(1891) | 3月24日 | 委員田中源太郡、浜岡光哲、渡辺伊之助、熊谷辰太郎の四氏辞職す。 |
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