興和紡績(株)『興和のあゆみ : 写真集』(1988.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
- 興服産業(株) 敗戦により、外地の支店・出張所はすべて閉鎖。国内の繊維配給代行業務や雑貨類卸売業により営業続行。
- 興亜紡績(株) 熱田、古知野、垣鼻、矢田川の各工場の返還を受け、逐次、紡績業再開の準備を進める。
- 興和紡績(株) 興亜紡績(株)を「興和紡績(株)」に商号変更。
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
6月 興服産業(株) 興服産業の新事業部門として「興和光器製作所」開設(蒲郡)。光学機械器具および光学レンズ類の製造開始。
8月9日 三輪常次郎、名古屋商工会議所会頭に就任。
- 興和紡績(株) 古知野工場、垣鼻工場、設備復元許可を受ける。
昭和22年(1947) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』670号を復刊する。 渋沢関係略年譜
4月 興服産業(株) 興服産業の新事業部門として「興和化学」開設。興和紡績矢田川工場の一角を賃借し医薬品の製造開始。
4月 興和紡績(株) 東洋紡織(株)の工場を賃借。知立工場とする。
12月 興和紡績(株) 紡機55,000錘の復元許可を受ける。
昭和23年(1948) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』677号をもって廃刊する。 渋沢関係略年譜
7月28日 興服産業(株) 抗ヒスタミン剤“レスタミン”製造許可。
12月15日 興和紡績(株) 三輪常次郎、興和紡績会長に就任。
昭和24年(1949) - 【竜門社】政府より曖依村荘が無償返還されることになる。財団法人社会教育協会に依頼して、機関誌『竜門雑誌』を継承する機関誌『青淵』を創刊する。曖依村荘全敷地の約3分の2を売却する。 渋沢関係略年譜
9月1日 興服産業(株) 感冒剤“コルゲン”製造許可。
10月25日 興和紡績(株) 川崎音三、興和紡績社長に就任。
昭和25年(1950) - 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 渋沢関係略年譜
2月14日 興和紡績(株) 東洋紡織(株)を吸収合併。
2月20日 関係会社 堀田冷蔵(株)設立(昭和32年興和冷蔵(株)に改称)。
2月 興服産業(株) 社員の海外派遣を再開。
4月 興服産業(株) 民間輸入貿易再開(この年1月)を機に輸入業務開始(染料・綿花など)。また、この年から非繊維品輸出も本格化。
8月9日 興和紡績(株) 興和紡績株式を名古屋証券取引所に上場。
昭和26年(1951) - 【竜門社】文部省史料館に日本実業史博物館準備室資料を寄託する。機関誌『青淵』を渋沢青淵記念財団竜門社から発刊する。【渋沢敬三】追放解除。 渋沢関係略年譜
7月 興和紡績(株) 伯耆振興工業(株)から工場を買収。倉吉工場とする。
10月26日 興服産業(株) 名古屋市北区金田町に新薬品工場完成。矢田川の旧工場より移転。
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