※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月11日 | ○勅令を以て国立原蚕種製造所の官制公布。 | 明治年表 | |
5月 | ○農商務省原蚕種製造所を東京府下杉並村に新設す。 | 明治年表 | |
10月16日 | ○農商務省令を以て、蚕業取締所規程を公布す。 | 明治年表 | |
11月21日 | ○勅令を以て種繭審査会規則公布(大正六年七月二十一日廃止) | 明治年表 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月30日 | ○皇太子殿下甲府市草薙社合資会社に行啓。 | 明治年表 | |
4月2日 | ○皇太子殿下甲府市矢嶋製糸場に行啓。 | 明治年表 | |
4月20日 | ○第一回中央種繭審査会開設(三日間) | 明治年表 | |
5月20日 | ○皇太子殿下千葉県農事講習所に行啓。 | 明治年表 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | (備考)此年七月三十日以後を大正元年と改めらる。 | 明治年表 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | ○(此年)本年より農商務省は、愛知、静岡の二県に委嘱して、剉桑育と条桑育との比較経済調査をなす(大正三年まで継続) | 明治年表 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月25日 | ○皇后陛下始めて青山御所に於て、御養蚕を遊ばさる。 | 大正年表 | |
6月13日 | ○東京、京都両蚕業講習所を農商務省より、同名称のまゝ文部省所管に移す。 | 大正年表 | |
- | ○(此年)国立原蚕種製造所(東京)に於て、春蚕期、日支・日欧其他一代交雑蚕種の掃立飼育を行ふ。 | 大正年表 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月18日 | ○農商務省令を以て、道府県原蚕種製造所規程公布。 | 大正年表 | |
4月1日 | ○文部省所管東西両蚕業講習所は、東京高等蚕糸学校、京都高等蚕業学校(後、昭和六年三月、京都高等蚕糸学校と改む)と改称す。 | 大正年表 | |
4月30日 | ○皇后陛下宮城内紅葉山御養蚕所にて、御親蚕を開始し給ふ。 | 大正年表 | |
6月17日 | ○勅令を以て、農商務省所管の原蚕種製造所を蚕業試験場と改称す。 | 大正年表 | |
8月1日 | ○ドイツに対し、仏露両国宣戦して欧洲大戦始まり、我が財界は混乱状態に陥り、稀有の大恐慌を惹起し、生糸界も忽ち暗雲に鎖さる。 | 大正年表 | |
8月4日 | ○横浜蚕糸貿易商同業組合は、時局応急策として夏秋蚕繭買入資金の融通を中止し、同時に繰業短縮を勧告するの二件を決議し、各製糸家に宛通牒を発す。 | 大正年表 | |
10月28日 | ○横浜蚕糸貿易商組合は、役員会に於て生産制限と同時に糸価維持同盟の要を力説して全国製糸業者に訴ふ。 | 大正年表 |