(社)大日本蚕糸会『日本蚕糸業史. 第5巻』(1985.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
11月10日 ○全国蚕糸業者大会に於て、糸価維持のため、年内閉業期の繰上げ、春挽開始期の繰延[、]繰業時間短縮及上一番千三百円以下売止等八ケ条に亙る決議をなす。 大正年表
11月16日 ○皇后陛下京都府綾部町に行啓、国立蚕業試験場綾部支場並に郡是製糸株式会社に御成りあらせらる。 大正年表
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月 ○政府は大日本蚕糸会に二万円を交付し、蚕糸業に関する共同経営の奨励をなさしむ。 大正年表
4月1日 ○勅令を以て、絹業試験所官制公布。 大正年表
5月17日 ○農商務省令を以て、桑園増殖奨励費交付規則を改正し、桑園増殖の奨励を中止し、専らその改良を奨励す。 大正年表
5月29日 ○皇后陛下農林省蚕業試験場(東京)に行啓。 大正年表
6月1日 ○糸価三百九十円となり、開港以来の最低価記録を作る。 大正年表
9月26日 ○甲信二州製糸家は、糸価維持のため十二月十五日(他地方所在工場は同月二十日)限り繰業休止を決議す。 大正年表
10月21日 ○米国に於ける半ケ年間絹物生産半減説伝はり、定期糸大崩落。 大正年表
11月11日 ○欧洲大戦の休戦条約成立し、糸価一千六百二十円(五十円高)に奔騰す。 大正年表
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
2月12日 ○今井五介を団長として、本邦蚕糸業者十八名米国絹業視察団として渡米す。 大正年表
3月10日 ○社団法人帝国蚕糸組合創立。 大正年表
5月21日 ○皇后陛下京都高等蚕糸学校に行啓。 大正年表
5月 ○(上旬)伊豆松崎に於ける新繭取引は、一貫匁十一円六十銭と云ふ記録破りの高値を告ぐ。 大正年表
7月7日 ○皇太子殿下上田蚕糸専門学校に行啓。 大正年表
7月7日 ○皇太子殿下長野県立小県蚕業学校に行啓。 大正年表
- ○(此年)長野県工業試験場に於て長工式煮繭機を発明す。 大正年表
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月21日 ○生糸信州上一番格四千三百六十円、最優等格四千四百八十円となり、開港以来未曾有の新高値を現出す。 大正年表
3月11日 ○チヤールス・チニーを団長とする米国絹業家の一団来朝す。 大正年表
3月 ○欧洲大戦後の好況反動来により株式市場大崩落。 大正年表
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