(社)大日本蚕糸会『日本蚕糸業史. 第5巻』(1985.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
5月3日 ○日米絹糸業第一回協議会を東京丸の内銀行倶楽部にて開催。 大正年表
5月3日 ○横浜蚕糸貿易商同業組合は、糸価一千八万円売止、其他三項を決議す。 大正年表
5月24日 ○横浜七十四銀行は三週間の休業を発表し、財界に大動揺を来し定期糸は直に立会を休止す。 大正年表
6月26日 ○横浜蚕糸貿易商同業組合の有志会は、七月十一日より、十二月末日迄生糸三割荷受制限を決議す。 大正年表
8月9日 ○蚕糸同業組合中央会は九月一日より十二月末日までの繰業時間短縮、及び今後貿易商の生糸荷受制限を五割とする件其の他を決議す。 大正年表
8月16日 ○皇后陛下福島県若松市の蚕養国神社に御参拝。 大正年表
9月12日 ○蚕糸同業組合中央会は、糸価調査委員会を開催し、資本金一千万円のシンヂケートを組織し、政府に向つて五千万円の融資を要求すべく決議す。 大正年表
9月25日 ○蚕糸救済の目的を以て、第二次帝国蚕糸株式会社成立し、同二十九日登記。 大正年表
10月15日 ○皇后陛下片倉製糸紡績株式会社大宮工場に行啓。 大正年表
11月10日 ○横浜蚕糸貿易商組合は、第二次全国蚕糸業大会を開催し、十一月末日より翌年二月十五日まで、全国一斉繰業休止の継続を決議す。 大正年表
11月14日 ○皇太子殿下片倉製糸紡績株式会社大分製糸所に行啓。 大正年表
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
3月4日 ○政府は帝蚕会社に対する蚕糸業救済貸付金、補償案を議会に提出し、同月二十五日可決す。但、政府の補償限度は三千万円。 大正年表
5月 ○鐘紡製糸上州新町工場に鐘紡式立繰装置繰糸機(一台四〇緒)を据付く。 大正年表
- ○(此年)鐘淵紡績株式会社は製糸業兼営に着手す。 大正年表
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
3月28日 ○埼玉県は「生繭正量取引奨励規程」を公布す。 大正年表
10月4日 ○皇太子殿下山梨県富士風穴に御成あらせらる。 大正年表
10月6日 ○皇太子殿下大日本蚕糸会山梨支会第四回蚕糸品評会に台臨あらせらる。 大正年表
11月21日 ○農商務省令を以て、道府県原蚕種製造所を、蚕業試験場と改称。 大正年表
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
1月27日 ○米国紐育市の第二回国際絹物展覧会視察の為、工藤善助を団長として蚕糸業者二十名渡米す。 大正年表
3月9日 ○米国絹業協会より同会長ゴールドスミスを団長とせる絹業者の視察員来朝す。 大正年表
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