東邦レーヨン(株)『東邦レーヨン二十五年史』(1959.12)

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月日 事項 年表種別
昭和9年(1934) 3月30日 第一回発起人会を開く、発起人に後宮信太郎、山口誠一郎、望月軍四郎、五十嵐直三、持田巽、赤司初太郎、大島亮治、笹岡敏男、西尾末雄、藤川類蔵、ほかに立会人として佐々木義彦が出席。 本史年表//東邦人繊時代
昭和10年(1935) 4月25日 第一回株主総会を開き、常務取締役に佐々木義彦が就任。 本史年表//東邦人繊時代
昭和15年(1940) 6月29日 大島亮治、佐々木義彦、笹岡敏男を取締役に選任、大島亮治常務取締役となる。 本史年表//日本油脂時代
昭和16年(1941) 4月1日 佐々木義彦大阪支店長となる。 本史年表//日本油脂時代
6月30日 専務取締役に大島亮治、常務取締役に佐々木義彦がそれぞれ就任。 本史年表//日本油脂時代
昭和17年(1942) 6月30日 取締役任期満了につき改選、大島亮治、佐々木義彦、笹岡敏男再選。 本史年表//日本油脂時代
昭和19年(1944) 6月29日 取締役改選、大島亮治、佐々木義彦、笹岡敏男再選。 本史年表//日本油脂時代
昭和20年(1945) 2月1日 帝国繊維株式会社の人繊部門となり、二月一八日株主総会で取締役に大島亮治、高木竹男、監査役に佐々木義彦就任、笹岡敏男は日油に残留、大阪支店長に永野二郎就任。徳島工場の事務、査業の二課は庶務、勤労となり化繊部に蛋白課を設置。 本史年表//帝国繊維時代
昭和22年(1947) 2月26日 追放令により常務取締役以上六氏が退き、後任に塚越丘二郎、佐々木義彦、原久雄、諏訪奨、井村重帯、久保復が就任、取締役会長に塚越丘二郎、取締役社長に佐々木義彦、常務取締役に山田酉蔵がそれぞれ選任される。 本史年表//帝国繊維時代
昭和25年(1950) 7月1日 帝国繊維会社を解散し、代表清算人川島正雄、清算人塚越丘二郎、佐々木義彦、山田酉蔵らが就任清算にはいる。新旧勘定を併合、第二会社として東邦レーヨンのほか帝国製麻、中央繊維を設立する。 本史年表//東邦レーヨン時代
12月25日 臨時株主総会で資本金を三億円に増資決定、取締役、監査役全員が整備計画により任期満了につき改選、佐々木義彦、高木竹男、諏訪奨、山内晁、松波直彦、大竹伊八、亀田規代理、森庄治重任、松村満雄新任される。監査役に大内文雄再選、新たに粟田庸太郎、堀内泰吉を選任。佐々木、高木、諏訪、代表取締役となる。 本史年表//東邦レーヨン時代
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