(社)日本綿業倶楽部『本邦綿糸紡績史. 第1巻』(1937.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
慶応2年(1866) - 【渋沢栄一】徳川慶喜、徳川宗家を相続(後に征夷大将軍)し、栄一は幕臣となる。〔26歳〕 渋沢関係略年譜
- 鹿児嶋紡績所建築落成
- 鹿児嶋紡績機械注文成る
- 新納、五代両氏帰朝
慶応3年(1867) - 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 渋沢関係略年譜
- 堺紡績所敷地出願
- 鹿児嶋紡績所機械到着
- 松岡十太夫鹿児嶋紡績所長となる
慶応4年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 石河氏堺紡績所設立内命を受く
- 石河氏堺紡績所委任申渡を受く
明治元年(1868) - 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 渋沢関係略年譜
- 堺紡機鹿児嶋から堺へ運船
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
- 堺紡績上棟式
- 鹿嶋万平氏東京商社総頭取代理となる
- 鹿嶋万平氏苗字帯刀を許さる
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 五代友厚氏堺紡績所掛を命ぜらる
- 鹿嶋紡績工場を滝の川に設く
- 堺紡績所開業
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
- 鹿児嶋紡績所商社組織となる
- 鹿児嶋紡績所長三原甚五左衛門氏に代はる
- 佐土原藩紡機出来す
- 佐土原藩紡機買上の事を五代氏から内願
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- 明治大帝鹿児嶋紡績所行幸
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