※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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文久2年(1862) | 4月23日 | 京都伏見の寺田屋騒動 | 時の流れ |
9月 | 幕府オランダへ留学生派遣 | 時の流れ | |
10月30日 | 京都烏丸通り御池に於いて、父利助、母みつの長男として生る。生家は「亀屋正重」という京洛一流の菓子舗 | 稲畑勝太郎の歩み | |
元治元年(1864) | - | 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 生家「蛤御門の変」で焼失、山科へ避難(2歳) | 稲畑勝太郎の歩み | |
7月 | 蛤御門の変(禁門の変、甲子の変とも言う)で京都市内は焦土と化す、焼失家屋28,000余戸(京のどんどん焼) | 時の流れ | |
慶応元年(1865) | - | 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | この年 生家京都三条大橋東5丁目西海子町(現在滋賀銀行東山支店が在るあたり)に移り、菓子舗を再開(3歳) | 稲畑勝太郎の歩み | |
慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 明治天皇即位 | 時の流れ | |
10月14日 | 徳川慶喜大政奉還 | 時の流れ | |
12月9日 | 王制復古の大号令下る | 時の流れ | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 鳥羽伏見の戦 | 時の流れ | |
3月14日 | 五箇条の御誓文発布 | 時の流れ | |
4月11日 | 江戸開城 | 時の流れ | |
7月17日 | 江戸を東京と改称 | 時の流れ | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 明治と改元、一世一元制とする | 時の流れ | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 東京遷都 | 時の流れ | |
11月16日 | スエズ運河開通 | 時の流れ | |
12月 | 京都市内に64小学校開校 | 時の流れ | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月27日 | 国旗「日の丸」制定 | 時の流れ | |
4月 | 下京区第8区粟田小学校に入学(8歳) | 稲畑勝太郎の歩み | |
12月 | 京都舎密局開設 | 時の流れ |