稲畑産業(株)『稲畑八十八年史 : 1890~1978』(1978.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
8月27日 大阪商法会議所設立 時の流れ
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
1月25日 「朝日新聞」創刊、1部1銭、1ヵ月18銭 時の流れ
- この年染色関係を専攻することになり、リヨンの工業学校に入学(17歳) 稲畑勝太郎の歩み
- この年コレラ流行、死亡者10万人を超す 時の流れ
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
12月24日 大阪南区再度の大火で5,980戸焼失(30日) 時の流れ
- この年から3年間リヨンのマルナス染色工場で徒弟として苦労しながら染色技術を実地に習得(18歳―20歳) 稲畑勝太郎の歩み
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
7月2日 「官報」創刊 時の流れ
11月28日 鹿鳴館開館 時の流れ
- この年(1)オランダ・アムステルダム万国大博覧会で京都府出品総代補として事務に参与、べルギー・オランダ両国皇帝に謁見(2)イギリス・ドイツ・フランス・ベルギー・スイスの諸国を歴訪、各地の染織工業を視察(21歳) 稲畑勝太郎の歩み
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
6月1日 天気予報開始、予報第1号「全国一般風ノ向キハ定マリナシ、天気ハ変リ易シ、但シ雨天勝チ」 時の流れ
- この年リヨン大学に入学、ローラン教授に就いて応用化学を専攻(22歳) 稲畑勝太郎の歩み
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
7月 フランス留学を終えて8年ぶりに帰朝 稲畑勝太郎の歩み
8月13日 京都府に奉職(23歳) 稲畑勝太郎の歩み
12月22日 太政官廃止、内閣制度発足、伊藤博文内閣成立 時の流れ
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
1月26日 北海道庁を置き、函館・札幌・根室の3県廃止 時の流れ
3月30日 色染織物繍纈共進会審査部長(京都府) 稲畑勝太郎の歩み
6月25日 日本薬局方制定 時の流れ
7月23日 東経135度の子午線(明石)時を日本標準時と決定(21年1月1日から実施) 時の流れ
9月 京都染工講習所講師(京都府) 稲畑勝太郎の歩み
9月 京都染工講習所開設 時の流れ
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