※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 「仏国染料月報」を創刊 | 稲畑の歩み | |
12月23日 | 店主 毛斯倫紡織株式会社を設立 | 稲畑の歩み | |
- | フランスからクロードフレールの染織流行標本を初めて輸入 | 稲畑の歩み | |
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 店主 商務で渡欧 | 稲畑の歩み | |
4月6日 | アテネで第1回オリンピック大会開催 | 時の流れ | |
9月18日 | 第2次松方正義内閣成立 | 時の流れ | |
- | フランスのユジン・ド・ローン薬品会社から医薬品を初めて輸入 | 稲畑の歩み | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 店主帰朝、フランスから映画器械シネマトグラフを持ち帰る | 稲畑の歩み | |
2月15日 | 大阪難波の南地演舞場で、シネマトグラフによって、日本で初めて映画を上映 | 稲畑の歩み | |
5月 | 大阪府西成郡豊崎村字本庄に、稲畑染工場を設立、染色加工業を併営 | 稲畑の歩み | |
6月20日 | 京阪神間電話開通 | 時の流れ | |
6月22日 | 京都帝国大学開設 | 時の流れ | |
10月 | 本店を大阪市南区順慶町通り2丁目(現在地)に移し、京都の店を支店とす | 稲畑の歩み | |
- | フランスから機械・香料・ブドー酒を初めて輸入 | 稲畑の歩み | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月12日 | 第3次伊藤博文内閣成立 | 時の流れ | |
6月30日 | 大隈重信内閣成立 | 時の流れ | |
11月8日 | 第2次山県有朋内閣成立 | 時の流れ | |
- | フランスのアルフレッド・モット社から毛糸・毛編物・フェルトを初めて輸入 | 稲畑の歩み | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 東京支店に店主代理の主管者を置く(主管者伊達忠七〉 | 稲畑の歩み | |
2月1日 | 東京―大阪間長距離電話開通 | 時の流れ |