稲畑産業(株)『稲畑八十八年史 : 1890~1978』(1978.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
4月1日 はがき1銭5厘・封書3銭に値上げ(昭和12年まで据置) 時の流れ
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 店主 パリ万国博覧会の審査官を命ぜられ渡仏 稲畑の歩み
6月21日 左側通行実施 時の流れ
9月1日 公衆電話(当時自動電話という)初登場 時の流れ
10月19日 第4次伊藤博文内閣成立 時の流れ
11月 京都支店を出張所とす 稲畑の歩み
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
4月16日 京阪神地方に金融恐慌起こる 時の流れ
6月2日 桂太郎内閣成立 時の流れ
12月24日 東京支店 堀留町1丁目に新築移転 稲畑の歩み
- スイスから捺染用ドクターを初めて輸入 稲畑の歩み
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
1月30日 日英同盟締結 時の流れ
- 京都出張所閉鎖 稲畑の歩み
- 旧制一高の寮歌「鳴呼玉杯に花うけて」流行 時の流れ
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
3月1日 第5回勧業博覧会に、各種輸入染料及び8色捺染機を出品 稲畑の歩み
3月1日 大阪天王寺で第5回勧業博覧会開催(~7/31) 時の流れ
4月6日 「仏国染法」を発刊 稲畑の歩み
6月12日 大阪に市電初めて走る(花園橋―築港間、1区1銭) 時の流れ
8月22日 東京に初めて電車走る(新橋―品川間) 時の流れ
- フランスのギリヤード・モンネー染料製造会社、リヒター顔料製造会社の日本代理店となる 稲畑の歩み
- 日露の風雲急、アメリカのライト兄弟飛行機を発明 時の流れ
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