花王石鹸(株)『花王広告史』(1989.04)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
天保元年(1830) - [天保年間]人情本・草双紙・錦絵・役者口上などの広告さかんになる。 広告年表
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
- [文久年間]「官板バタビヤ新聞」(最初の邦字紙)刊。 広告年表
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
- ジョセフ・ピコ「海外新聞」(民間最初の邦字紙)刊。 広告年表
慶応元年(1865) - 【渋沢栄一】一橋家歩兵取立御用掛を命ぜられ領内を巡廻。〔25歳〕 渋沢関係略年譜
- [慶応年間]「万国新聞紙」に中川屋の広告。「中外新聞」にミシン教授の広告。「横浜新報もしほ草」刊。「西洋雑誌」刊(雑誌のはじめ)。新聞許可制布告 広告年表
明治2年(1869) - 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 渋沢関係略年譜
- 新聞紙印行条例公布。 広告年表
明治3年(1870) - 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 渋沢関係略年譜
- 「横浜毎日新聞」刊(最初の日刊紙)。 広告年表
明治4年(1871) - 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 渋沢関係略年譜
- 「新聞雑誌」に守田宝丹の広告。ペンキぬり・横文字看板多くなる。床屋の看板標識出現。竹橋陣営に時計塔。 広告年表
明治5年(1872) - 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 渋沢関係略年譜
- 「横浜毎日新聞」に広告という文字初見。「東京日日新聞」に能の広告、「日要新聞」にビールの広告初見。「新聞雑誌」に資生堂薬局開業広告。 広告年表
明治6年(1873) - 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 渋沢関係略年譜
- ウィーン万国博に初参加。新聞紙発行条目制定。「日新真事誌」に死亡広告初見。「東京日日」に精錡水広告。 広告年表
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
- 「東京日日」に千里軒の乗合馬車、吉竹長左衛門のしゃぼんの広告。「読売新聞」にコーヒーの広告。石油ランプ普及。東京にガス灯点火。書籍広告多し。 広告年表
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
- 新聞紙条例・讒謗律公布。「読売」号外発行(号外のはじめ)。各種錦絵新聞発刊。外神田京屋時計店に時計塔。 広告年表
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
- 「読売」に年賀欠礼広告。第一回内国勧業博ガス館に菊花紋章の花ガス。 広告年表
明治11年(1878) - 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 渋沢関係略年譜
- 銀座に広告社引札屋開業。「大阪日報」に年賀広告。鉄道局、下等客車内に広告許可。「東京日日」「郵便報知」に最初の黒枠広告。売薬・化粧品広告多くなる。 広告年表
明治12年(1879) - 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 渋沢関係略年譜
- 神田の連雀社、広告掲示板を設ける。 広告年表
明治13年(1880) - 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 渋沢関係略年譜
- 共立商社の馬車広告(車上より引札をまく)。 広告年表
明治14年(1881) - 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 渋沢関係略年譜
- 「石川新聞」に求婚広告。東京のガス灯400基となる。 広告年表
明治16年(1883) - 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 渋沢関係略年譜
- 福沢諭吉、「時事新報」社説に「商人に告ぐる文」(新聞広告のすすめ)を執筆。大阪に広告掲示場設置。 広告年表
明治17年(1884) - 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 渋沢関係略年譜
- 岩谷松平、銀座に写真灯照広告。商標条例公布。 広告年表
明治18年(1885) - 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 渋沢関係略年譜
- 東京鉄道馬車会社、馬車内広告引受け。尾崎紅葉、小町紅本舗開業披露の引札を書く。東京馬車鉄道、車内広告開始(中吊広告のはじめ)。 広告年表
明治19年(1886) - 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 渋沢関係略年譜
- 広告取次業弘報堂開業。 広告年表
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