片倉チッカリン(株)『八十年史』(2000.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和17年(1942) - 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 渋沢関係略年譜
4月 (27期)天津営業所を片倉公司に改称 片倉チッカリンの動き
6月 (27期)月島工場の一部を賃貸開始 片倉チッカリンの動き
9月 (27期)末広肥料(株)を買収(東京市深川) 片倉チッカリンの動き
9月 間接肥料の製造販売許可制公布 社会的な出来事
- (27期)朝鮮化学肥料(株)仁川工場にて特殊化成肥料製造開始(朝鮮仁川府) 片倉チッカリンの動き
- (27期)東名塩業(株)設立、製塩事業開始(宮城県野蒜村) 片倉チッカリンの動き
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
3月 農業団体法公布(中央農業会、全国農業経済会、農林中央金庫の3本建となる) 社会的な出来事
8月 (28期)小滝工場開設(新潟県小滝村) 片倉チッカリンの動き
11月 (28期)片倉化学工業(株)に改称 片倉チッカリンの動き
11月 (28期)大阪営業所、尼崎工場閉鎖 片倉チッカリンの動き
- (28期)塩釜工場にて県標準配合肥料20万カマス(7500トン)製造、戦前最後の配合肥料製造となる 片倉チッカリンの動き
- (28期)川崎栄養食(株)設立 片倉チッカリンの動き
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月 肥料配給機構の整備強化に関する閣議決定(8月から農業経済会に一元) 社会的な出来事
4月 日本肥料(株)、肥料の一元的配給中枢機関となる 社会的な出来事
7月 (29期)塩釜鋼業所軍需工場に指定 片倉チッカリンの動き
7月 (29期)日東肥料(株)原鉱石割当皆無となったため、操業停止、のち工場売却 片倉チッカリンの動き
- (29期)深川工場精米事業中止 片倉チッカリンの動き
- (29期)大分工場賃貸開始 片倉チッカリンの動き
- (29期)鹿児島工場売却 片倉チッカリンの動き
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
7月 (30期)青森工場および深川工場空襲にて焼失 片倉チッカリンの動き
PAGE TOP