※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和25年(1950) | - | 【渋沢敬三】ユニバーサル広告社社員(~1951年)。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 管理組織として事業部門制を採用。 | ||
昭和27年(1952) | - | 【渋沢敬三】貯蓄増強中央委員会会長に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米・ライヒホールドケミカルス(RCI)との合併で日本ライヒホールド化学工業株式会社(JRC)を設立。 | ||
昭和29年(1954) | - | 【竜門社】渋沢栄一伝記資料刊行会を組織し、『渋沢栄一伝記資料』全58巻の編集を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米・サンケミカル・コーポレーションとの技術提携契約を締結。 | ||
昭和33年(1958) | - | 【渋沢敬三】角川書店より『南米通信 : アマゾン・アンデス・テラローシャ』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 戦後初の海外拠点として香港出張所を開設。 | ||
昭和34年(1959) | - | 【渋沢敬三】日本学術振興会より『明治前日本漁業技術史』刊行。角川書店より『日本魚名の研究』刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 合成樹脂着色剤、カラーコンパウンドの本格生産を開始。 | ||
昭和35年(1960) | - | 【渋沢敬三】熊本大学における第15回日本人類学会・日本民族学協会連合大会に出席して発病、東京大学医学部附属病院に入院、療養。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 西独・カール・フロイデンベルグ社などと、不織布を製造する合弁会社、日本バイリーン株式会社を設立。 | ||
- | 戦後初の印刷インキの海外生産拠点として、タイに合弁会社タイ・ワタナ・インダストリー社を設立。 | ||
昭和37年(1962) | - | 【竜門社】寄託中の日本実業史博物館準備室旧蔵資料を文部省史料館に寄贈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | JRCを吸収合併し社名を大日本インキ化学工業株式会社(DIC)に改称。 | ||
昭和38年(1963) | - | 【渋沢敬三】昭和37年度「朝日賞」文化賞受賞、贈呈式に出席。10/25死去。その直前に勲一等瑞宝章を授与さる。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 総合化学メーカーとしての基盤強化を目指した千葉工場第一期工事が完成。 | ||
昭和39年(1964) | - | 【竜門社】曖依村荘内の表門、晩香廬、青淵文庫の改修工事を終了する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 合成樹脂原料の自給を目指し、ホルマリン製造プラントが稼動を開始。 | ||
昭和41年(1966) | - | 【竜門社】創立80周年記念式典を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米インターナショナル・ラテックス・アンド・ケミカル・コーポレーションと合弁でラックスター株式会社を設立。 | ||
- | 米・エレクトロスタティック・プリンティング・コーポレーション・オブ・アメリカ社と合弁で静電印刷の日本EPC株式会社を設立。 | ||
昭和42年(1967) | - | 【竜門社】松本支部開設。 | 渋沢関係略年譜 |
- | ビール用プラスチックコンテナの発売を開始。 | ||
- | 合成皮革用樹脂の、米・RCIへの技術輸出契約を締結。 | ||
- | 東京日本橋に日本一高層のディックビルが完成。 | ||
昭和43年(1968) | - | 【竜門社】図書資料を収蔵する書庫(第1資料室)を曖依村荘内に建設。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 米・ハーキュリーズ社と製紙用化学品の合弁会社、ディックハーキュレス株式会社を設立。 | ||
- | 独自技術により、B‐B溜分をベースとする新型エポキシ樹脂を開発。 | ||
- | 石油化学への参入を目的として、エチレン生産の合弁会社、新大協和石油化学株式会社を設立。 | ||
昭和44年(1969) | - | 【竜門社】渋沢敬三伝記編纂刊行会の援助を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 自社技術により、ポリスチレンの生産を開始。 | ||
- | 欧州初の拠点としてヨーロッパ大日本インキ化学工業有限会社を西独に設立。 |