※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月14日 | 大阪造幣寮、硫酸の製造開始 | 業界・一般事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 三池炭鉱、官有となる | 業界・一般事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井銀行設立 | 業界・一般事項 | |
7月29日 | 三井物産会社設立、三池石炭の取り扱い開始 | 業界・一般事項 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月5日 | 工場払下概則公布 | 業界・一般事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月7日 | 農商務省設置 | 業界・一般事項 | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月28日 | 東京人造肥料設立 | 業界・一般事項 | |
明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 三井組、大蔵省から三池炭鉱の払い下げを受ける | 当社関連事項 | |
1月4日 | 三池炭砿社を三井組、三井物産、三井銀行の3社で設立 | 当社関連事項 | |
2月11日 | 大日本帝国憲法公布 | 業界・一般事項 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月26日 | 商法公布 | 業界・一般事項 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月20日 | 三井鉱山合資会社の設立認可(資本金200万円) | 当社関連事項 | |
10月 | 三井鉱山、横須にビーハイブ式コークス炉を新設、コークスの生産開始 | 当社関連事項 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井鉱山、合名会社に改組 | 当社関連事項 | |
7月1日 | 三井銀行、三井物産それぞれ合名会社に改組 | 業界・一般事項 | |
9月 | 三井鉱山、東京・日本橋の三井銀行本店内に分析室を設置 | 当社関連事項 | |
10月1日 | 三池炭砿社、三井三池炭鉱事務所と改称 | 当社関連事項 | |
12月15日 | 三菱合資会社設立 | 業界・一般事項 | |
明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
8月1日 | 日清戦争勃発 | 業界・一般事項 | |
明治28年(1895) | - | 【渋沢栄一】東京統計協会終身会員。北越鉄道株式会社創業総会・監査役(後に相談役)。〔55歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月17日 | 日清講和条約調印 | 業界・一般事項 |