※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月11日 | カイザー・ヴィルヘルム協会創立(ドイツ) | 世界の動き | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月23日 | 高峰譲吉 築地精養軒にて「国民科学研究所設立の必要性」について演説 | 理研の歩み | |
6月 | 高峰譲吉 国民科学研究所の必要性を提唱 | 理研の歩み | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月19日 | 「化学研究所設立の請願」を貴衆両議院に請願(議会散会のため目的達せられず) | 理研の歩み | |
7月28日 | 第一次世界大戦勃発 | 世界の動き | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
6月9日 | 「理化学研究所設置」を決定(第36回帝国議会) | 理研の歩み | |
6月24日 | 「理化学研究所」設立協議会開催(設立委員 渋沢栄一 以下18名) | 理研の歩み | |
- | 1915-16年 アインシュタイン 一般相対性原理を発表 | 世界の動き | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | 大隈重信内閣総理大臣宛に「理化学研究所」の設立計画に際し政府の補助を建議 | 理研の歩み | |
3月6日 | 理化学を研究する公益法人の国庫補助に関する法律公布 | 理研の歩み | |
7月3日 | 大隈重信首相 理化学研究所の設立発起協議会開催 | 理研の歩み | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月19日 | 財団法人理化学研究所に対する民間寄附金の申込済総額218万7000円に達し、財団法人設立認可申請 | 理研の歩み | |
3月20日 | 財団法人理化学研究所設立//渋沢栄一を設立者総代として(財)理化学研究所の設立を申請。皇室からの御下賜金、政府からの補助金、民間からの寄付金を基にわが国の産業の発展に資することを目的に東京・文京区駒込の地に設立//伏見宮貞愛親王殿下(ふしみのみやさだなるしんのうでんか) を総裁に奉載 | 理研の歩み | |
3月28日 | 副総裁 菊池大麓//副総裁 渋沢栄一 | 理研の歩み | |
4月26日 | 皇室より御下賜金(毎年10万円ずつ、10年間) | 理研の歩み | |
6月29日 | 長岡半太郎、池田菊苗 入所//初代所長 菊池大麓//物理学部長 長岡半太郎//化学部長 池田菊苗 | 理研の歩み | |
8月19日 | 菊池大麓 急逝 | 理研の歩み | |
10月12日 | 第2代所長 古市公威 | 理研の歩み | |
11月7日 | ロシア十月革命 | 世界の動き | |
11月12日 | 鈴木梅太郎 入所 | 理研の歩み |