※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | ・シベリア出兵の開始 | 業界事項・社会一般事項 | |
8月 | ・全国で米騒動起こる | 業界事項・社会一般事項 | |
9月 | ・寺内内閣総辞職、原敬政党内閣の成立 | 業界事項・社会一般事項 | |
11月 | ・第一次世界大戦休戦協定調印 | 業界事項・社会一般事項 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・パリ講和会議、国際労働立法委員会を設置 | 業界事項・社会一般事項 | |
4月 | ・初代社長柴田清之助が退任し、取締役津村重舎が第二代社長に就任 | 当社の出来事 | |
4月 | ・中国に日貨排斥再燃 | 業界事項・社会一般事項 | |
6月 | ・ヴェルサイユ講和条約調印 | 業界事項・社会一般事項 | |
- | ・新薬懇和会(東)、日本医薬会(西)発足。のちに合併して大日本医薬会(新薬協会の前身)となる | 業界事項・社会一般事項 | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | ・日本最初のメーデー挙行。この月以降取り付けによる銀行の休業が続出し、21行に及ぶ | 業界事項・社会一般事項 | |
6月 | ・資本金150万円の第二製薬を創立し、第一製薬に合併。当社の資本金は200万円となる | 当社の出来事 | |
7月 | ・駆梅剤「タンワルサン」などの製造元、匿名組合国産製薬所を買収し、その事業を継承 | 当社の出来事 | |
11月 | ・国際連盟第一回総会開催 | 業界事項・社会一般事項 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | ・尺貫法をメートル法に改正 | 業界事項・社会一般事項 | |
11月 | ・ワシントン軍縮会議 | 業界事項・社会一般事項 | |
11月 | ・原敬首相、東京駅頭で刺殺される | 業界事項・社会一般事項 | |
12月 | ・日英同盟終了 | 業界事項・社会一般事項 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | ・大阪市東区北浜一丁目野村ビルに第一製薬関西部の事務所を開設。同市東区道修町二丁目松井吉郎商店内に大阪出張所を開設 | 当社の出来事 | |
4月 | ・合成アドレナリン「ボスミン」の製造開始 | 当社の出来事 | |
4月 | ・日本新薬協会創立 | 業界事項・社会一般事項 |