大日本製薬(株)『大日本製薬六十年史』(1957.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治31年(1898) - 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 渋沢関係略年譜
11月1日 臨時株主総会 社名を大日本製薬株式会社と改める。 資本金を三万円増加して、新資本金を十三万円とする。 当社六十年の歩み
11月30日 大日本製薬合資会社より買収した器械什具一切を海老江の製薬所へ収納、取付工事開始 当社六十年の歩み
12月8日 大日本製薬合資会社より買収の商標登録完了(農商務省特許局) 当社六十年の歩み
明治32年(1899) - 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 渋沢関係略年譜
3月23日 海老江の製薬所に電話開通 当社六十年の歩み
4月10日 取締役小西久兵衛、辞任 当社六十年の歩み
4月15日 海老江の製薬所において、開業式を挙行 当社六十年の歩み
5月31日 大阪薬種卸仲買商組合へ加盟 当社六十年の歩み
6月 旧商法施行 内外事情
7月11日 本店に電話開通 当社六十年の歩み
10月15日 株式(旧株)全額払込完了に付、本株券を発行 当社六十年の歩み
明治33年(1900) - 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月27日 第六回決算報告において、利益金五千余円を計上し、前期までの欠損金を一挙に償却 当社六十年の歩み
2月4日 東京市日本橋区箔屋町八番地に東京出張所を設置 当社六十年の歩み
2月13日 帝国ホテルにおいて出張所設置披露会 当社六十年の歩み
3月12日 臨時株主総会・東京出張所を東京支店と改める。 ・東京区裁判所が、「出張所」設置登記を受理しなかったため 当社六十年の歩み
5月15日 大阪市製産品評会に出品した当社製品に対して銅牌賞を受く。 当社六十年の歩み
5月 北清事変勃発 内外事情
7月27日 初めて配当金を支払う。 当社六十年の歩み
8月16日 東京支店に電話開通 当社六十年の歩み
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
1月10日 粉末工場として、大阪府中河内郡大戸村字芝(辻子谷)一四三番屋敷建物及び附属水車装置一切を借受けた。 当社六十年の歩み
3月14日 東京支店、東京薬種貿易商組合へ加入 当社六十年の歩み
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