大日本製薬(株)『大日本製薬六十年史』(1957.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
6月23日 大阪化学工業博覧会より、当社出品の医薬品に対し、名誉賞牌を授与さる。 当社六十年の歩み
6月24日 臨時株主総会・本店支配人滝野勇、取締役に選任 当社六十年の歩み
8月 米価暴騰、米騒動勃発 内外事情
11月 第一次世界大戦終る 内外事情
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
3月16日 従来発行した株券は、その種類が雑多であったため、之を整理するために、旧株券を新株券と引換えた。 当社六十年の歩み
6月24日 上期の利益金中より、十万円を支出して研究基金の制度を設けた。 当社六十年の歩み
6月 ヴエルサイユ条約調印 内外事情
8月20日 京都市主催の戦捷記念全国衛生博覧会に出品した当社製品に対し、金賞牌をうく。 当社六十年の歩み
11月13日 社長小磯吉人、製薬業者を代表して、武庫離宮において天皇に拝謁、御下問にこたえた。 当社六十年の歩み
11月15日 大阪城内において、当社製品タンニン酸、焦性没食子酸及び純アルコールを天皇の御覧に供した。 当社六十年の歩み
大正9年(1920) - 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月30日 製薬部接続地三千五坪を買収 当社六十年の歩み
2月16日 取締役塩野義三郎(先々代)、辞任 当社六十年の歩み
3月1日 臨時株主総会・試験部工場堀川移転を議決 当社六十年の歩み
5月1日 福岡市で開催された工業博覧会において、当社出品に対し名誉大賞牌を授与さる。 当社六十年の歩み
5月17日 大阪市北区西堀川町三四番地他十一筆二、三六四坪余の敷地及び同地上建物二二棟(建坪九二九・四坪)を買収―試験部移転のため 当社六十年の歩み
6月22日 製薬部接続地六五坪を買収 当社六十年の歩み
6月24日 臨時株主総会・塩野義三郎(先代)、取締役に選任 当社六十年の歩み
7月7日 前取締役塩野義一(先々代義三郎)より、図書購入費として四千円を寄贈さる。 当社六十年の歩み
12月24日 臨時株主総会・小西儀助、取締役に選任 当社六十年の歩み
12月 第四改正日本薬局方公布 内外事情
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