※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 麻生賀郎、居村並びに近村貸渡金五九五両余を免除し証書を返還。このこと奇特につき藩庁より格別をもって伜代まで大庄屋申付け、苗字名乗りを許される | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
1月 | 戊辰戦争おこる | 一般[日本国内の事項] | |
3月14日 | 五箇条の御誓文発布 | 一般[日本国内の事項] | |
9月3日 | 江戸を東京と改め、明治と改元 | 一般[日本国内の事項] | |
- | 佐賀藩、英人グラバーの指導により高島炭鉱で洋式採炭実施 | 関連業界[石炭業界] | |
- | この頃郡役所は内野村にあり、嘉麻・穂波・上座・下座の四郡を管轄 | 一般[地域社会(筑豊)に関する事項] | |
- | この年の飯塚村戸数四三八、人口二、〇三四 | 一般[地域社会(筑豊)に関する事項] | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 鉱山解放令布告 | 関連業界[石炭業界] | |
4月17日 | 高島炭坑に日本最初の洋式立坑「北渓井坑」完成、深さ四三メートル | 関連業界[石炭業界] | |
7月 | 官制改革、六省設置 | 一般[日本国内の事項] | |
12月 | 東京・横浜間電信開通 | 一般[日本国内の事項] | |
- | 麻生賀郎、嘉麻郡二一カ村の大庄屋となり、ついで翌三年穂波郡三一カ村の大庄屋に転ず | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
- | 日本最初の職業看護婦現われる | 関連業界[医療界] | |
- | アメリカ大陸横断鉄道完成、スエズ運河開通、トルストイ「戦争と平和」 | 一般[世界の事項] | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月 | 庶民の称氏を許可 | 一般[日本国内の事項] | |
12月16日 | 官道宿駅本陣廃止、郵便制度創設 | 一般[日本国内の事項] | |
- | 瓜生長右衛門入店 | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
- | 民部省、石炭に関する調査に着手 | 関連業界[石炭業界] | |
- | 英人モーリス、肥前久原において三〇〇尺の立坑を開き蒸気ポンプを設置し、規模を拡大 | 関連業界[石炭業界] | |
- | ドイツ医学採用方針を決定,洋式病院盛んに建つ | 関連業界[医療界] |