※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 麻生太吉、目尾御用山を採掘、初めて石炭事業に着手 | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
- | 芳雄炭坑開坑、御用炭となる | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
- | 小倉県、旧藩の特権商人中原屋に石炭の一括独占販売を許可 | 関連業界[石炭業界] | |
- | 日曜休日制度実施 | 一般[日本国内の事項] | |
- | 初の戸籍人口調査実施(壬申戸籍)//総人口三、四八一万人 | 一般[日本国内の事項] | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 麻生太吉、鞍手郡頓野村吉川半次郎六女ヤスと結婚 | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
2月17日 | 東京・長崎間電信開始 | 一般[日本国内の事項] | |
2月 | キリスト教解禁 | 一般[日本国内の事項] | |
4月 | 麻生太吉、立岩村保長就任 | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
4月 | 筑前一円の区制改革により、七大区穂波郡、八大区嘉麻郡となり、それぞれの調所を飯塚、大隈に置く | 一般[地域社会(筑豊)に関する事項] | |
6月 | 嘉麻郡より党民騒動(百姓一揆)起り県下に拡がる、月末鎮圧 | 一般[地域社会(筑豊)に関する事項] | |
7月20日 | 本邦初の成文鉱業法「日本坑法」太政官布告第二五九号により布告、鉱区の借区制度実施 | 関連業界[石炭業界] | |
9月5日 | 三池、高島両鉱山官営となる | 関連業界[石炭業界] | |
10月 | 麻生太吉、忠隈山王谷で採炭開始 | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
11月 | 麻生太吉、有井山を他の二氏と共同で採炭 | 麻生関係[麻生家および石炭に関する事項(麻生事業本部を含む)] | |
- | 本邦初のセメント工場、東京深川で創業 | 関連業界[セメント・石灰石業界] | |
- | 英人ランサム、回転窯を発明 | 関連業界[セメント・石灰石業界] | |
- | 田川郡採銅所村、香春村に石灰坑開坑、年間二〇万斤、一万八千斤をそれぞれ焼成 | 関連業界[セメント・石灰石業界] | |
- | 医事制度制定 | 関連業界[医療界] | |
- | 野球、アメリカより伝えられる | 一般[日本国内の事項] |