日本碍子(株)『日本碍子株式会社三十年史』(1949.05)

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月日 事項 年表種別
昭和3年(1928) 4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役諸氏満期に付改選の結果何れも再選、監査役一名増員、森村義行氏当選
昭和5年(1930) 4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 定款中左記の通り変更す 第二十三条取締役の任期は就任後第六回目の定時株主総会終了迄とし監査役の任期は就任後第四回目の定時株主総会終了迄とす、但し何れも再選を妨げず、補欠又は新に追加選任せられたる取締役及監査役の任期は他の現在員の任期と共に終了す 第三十条中「使用人職工保護積立金」とあるを「従業員保護資金」と改む 監査役森村義行氏再選、但しその任期は第二十四期株主総会終結を以て満了することを決議
昭和6年(1931) 4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役及監査役全員満期に付改選の結果取締役に大倉和親、江副孫右衛門、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行、監査役に星野恵助、中村賢之助の諸氏当選、当会社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選 同日重役会を開き取締役互選の結果社長に大倉和親氏常務取締役に江副孫右衛門氏当選し男爵森村市左衛門氏を相談役に推薦す
昭和9年(1934) 4月25日 東京市に於て定時株主総会を開く 取締役全員満期改選の結果大倉和親、江副孫右衛門、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行の諸氏再選、当社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選
昭和12年(1937) 4月26日 東京市に於て定時株主総会を開く 取締役及監査役全員満期改選の結果取締役に大倉和親、江副孫右衛門、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行、飯野逸平、榊原辰雄、吉本熊夫の諸氏、監査役に星野恵助、森村勇の両氏当選
昭和15年(1940) 4月26日 東京市に於て定時株主総会を開く、取締役全員満期改選の結果大倉和親、江副孫右衛門、吉本熊夫、村田八束、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行、飯野逸平、服部昇一の諸氏再選、当会社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選 新株式募集に関する事項報告並に商法第参百五十四条に規定せる事項の調査報告の件は何れも原案を承認//右株主総会終了後取締役互選の結果、取締役会長に大倉和親氏取締役社長に江副孫右衛門氏、常務取締役に吉本熊夫、村田八束両氏再選
昭和18年(1943) 5月3日 東京都に於て定峙株主総会を開く 取締役全員満期改選の結果大倉和親、江副孫右衛門、吉本熊夫、村田八束、山脇正吉、森村義行、服部昇一、鈴木巳代三、野淵三治の諸氏当選 会社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏を再選、監査役全員満期改選の結果、人見脩蔵氏再選、広瀬実秀氏当選//株主総会終了後取締役互選の結果取締役会長に大倉和親氏、取締役社長に江副孫右衛門氏、常務取締役に吉本熊夫、村田八束両氏再選
昭和19年(1944) 5月7日 取締役[取締役会]を開き取締役の互選を以て取締役社長に森村義行氏を選任 大倉和親氏取締役会長を辞任、江副孫右衛門氏取締役社長を辞任
昭和20年(1945) 11月20日 当社に於て定時株主総会を開く 会社を代表すべき取締役に森村義行、吉本熊夫両氏当選
昭和21年(1946) 5月10日 当社に於て定時株主総会を開く 取締役全員満期改選の結果森村義行、吉本熊夫、鈴木巳代三、野淵三治、山脇正吉、森村勇、村田八束、浅井政彦、浅野直三、栗本秀雄、渡辺喜の諸氏再選、新に小島豊之進氏当選 会社を代表すべき取締役に森村義行、吉本熊夫の両氏再選//株主総会終了後取締役互選の結果取締役社長に森村義行氏、専務取締役に吉本熊夫氏、常務取締役に鈴木巳代三、野淵三治両氏再選
昭和23年(1948) 2月25日 取締役社長森村義行氏辞任
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