日本碍子(株)『日本碍子株式会社三十年史』(1949.05)

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月日 事項 年表種別
大正9年(1920) 6月7日 工務部長江副孫右衛門氏工場視察の為米国へ出発
9月7日 工務部長江副孫右衛門氏米国より帰朝
大正11年(1922) 4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役全員任期満了のため改選の結果大倉和親、森村開作、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉の諸氏再選 取締役二名増員選挙の結果江副孫右衛門、中村賢之助の二氏当選監査役一名補欠選挙の結果、星野恵助氏当選
昭和2年(1927) 2月 (初旬)トンネル窯の建設に関して江副孫右衛門、吉田吉三両氏渡米
昭和4年(1929) 4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 定款第三十条中「役員賞与金若干」に変更 当会社を代表すべき取締役に大倉和親 江副孫右衛門両氏選任 監査役に星野恵助氏再選
昭和6年(1931) 4月25日 当社内に於て定時株主総会を開く 取締役及監査役全員満期に付改選の結果取締役に大倉和親、江副孫右衛門、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行、監査役に星野恵助、中村賢之助の諸氏当選、当会社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選 同日重役会を開き取締役互選の結果社長に大倉和親氏常務取締役に江副孫右衛門氏当選し男爵森村市左衛門氏を相談役に推薦す
昭和9年(1934) 4月25日 東京市に於て定時株主総会を開く 取締役全員満期改選の結果大倉和親、江副孫右衛門、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行の諸氏再選、当社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選
昭和11年(1936) 10月26日 日本特殊陶業株式会社創立、資本金壱百万円、取締役社長江副孫右衛門、資本総額の二分の一に相当する壱万株に出資
昭和12年(1937) 4月26日 東京市に於て定時株主総会を開く 取締役及監査役全員満期改選の結果取締役に大倉和親、江副孫右衛門、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行、飯野逸平、榊原辰雄、吉本熊夫の諸氏、監査役に星野恵助、森村勇の両氏当選
4月 当社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選
昭和14年(1939) 10月25日 東京市に於て定時株主総会を開く 取締役一名補欠選挙の結果村田八束氏当選、同一名増員選挙の結果服部昇一氏当選、株主総会終了後取締役互選の結果取締役会長に大倉和親氏、取締役社長に江副孫右衛門氏、常務取締役に吉本熊夫、村田八束両氏当選
昭和15年(1940) 4月26日 東京市に於て定時株主総会を開く、取締役全員満期改選の結果大倉和親、江副孫右衛門、吉本熊夫、村田八束、広瀬実光、百木三郎、山脇正吉、森村義行、飯野逸平、服部昇一の諸氏再選、当会社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏再選 新株式募集に関する事項報告並に商法第参百五十四条に規定せる事項の調査報告の件は何れも原案を承認//右株主総会終了後取締役互選の結果、取締役会長に大倉和親氏取締役社長に江副孫右衛門氏、常務取締役に吉本熊夫、村田八束両氏再選
昭和18年(1943) 5月3日 東京都に於て定峙株主総会を開く 取締役全員満期改選の結果大倉和親、江副孫右衛門、吉本熊夫、村田八束、山脇正吉、森村義行、服部昇一、鈴木巳代三、野淵三治の諸氏当選 会社を代表すべき取締役に大倉和親、江副孫右衛門両氏を再選、監査役全員満期改選の結果、人見脩蔵氏再選、広瀬実秀氏当選//株主総会終了後取締役互選の結果取締役会長に大倉和親氏、取締役社長に江副孫右衛門氏、常務取締役に吉本熊夫、村田八束両氏再選
昭和19年(1944) 5月7日 取締役[取締役会]を開き取締役の互選を以て取締役社長に森村義行氏を選任 大倉和親氏取締役会長を辞任、江副孫右衛門氏取締役社長を辞任
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